【ニューイヤー駅伝】パリ五輪で快挙のマラソン6位・赤﨑暁と3000m障害8位・三浦龍司、20年ぶりに五輪入賞者2人が出場
28.5kmから800m程度続く上りは、傾斜度が6度を超える急勾配だったが、そこでも赤﨑の走りは崩れなかった。「上りは自分のリズムで行きたかったんです。集団のペースが落ちたので、15km以降はリズムを崩すよりいいと思って先頭で走りました。29kmの上り坂は正直、ハムストリング(大腿裏)が攣(つ)りかけましたが、下りもあったので上手く耐えて最後までもたせることができました」 35km過ぎにメダル争いからは後退したが、そこでも赤﨑のリズムは崩れなかった。「2位集団が見えていたので目指したかったのですが、あそこで無理に追いかけていたら最後で失速する可能性がありました。まずは自分のリズムをキープすること、その上でワンチャンあればメダルを狙おうと思って走っていました」残念ながらメダルには届かなかったが大健闘の6位入賞だった。 赤﨑はもともと上り下りに強い選手ではなかったが、MGC終盤に上りがあるため坂対策はしていた。そして昨年11月にパリ五輪コースを下見してからは、負荷の大きいポイント練習だけでなく、ジョグのコースでも上り坂を選び、「嫌というほど上りの練習」を行ってきた。「この駅伝でこの区間の経験があった、というわけではありませんが、日本選手は駅伝で上り下りを当たり前のように走っています。起伏が激しいコースの青梅マラソン(30km、2月)に優勝したことで、最終的に苦手意識を払拭できましたが、(コースが平坦な高速マラソンを主戦場とする)外国勢との違いはそこにあったのかもしれません」 初めての海外でのマラソンだったが、赤﨑は平常心で臨むことができたという。やるべきこと、できることをやってきた選手は、大舞台でも不安を持たずにスタートラインに立つことができる。そしてレース中も、練習してきたことを発揮できていると感じられた。 「いや、もう、人生で一番楽しいレースでした」 オリンピックというアスリートにとって最高の舞台で感じられたマラソンの楽しさ。それを駅伝でも感じることが、赤﨑の今の課題である。