<映画評>『ピーター・ブルックの世界一受けたいお稽古』
東京渋谷のシアター・イメージフォーラムで9月20日から公開される映画『ピーター・ブルックの世界一受けたいお稽古(原題:The Tightrope)』。演劇界の巨匠と呼ばれるイギリスの舞台演出家ピーター・ブルック氏の息子で映画監督のサイモン・ブルック氏が父の創作現場を収録した。
この映画は、商業的な成功を狙った作品ではないだろう。演劇を扱った骨太のドキュメンタリーだ。笈田ヨシをはじめとする名優らが、稽古場の床の上に置かれた架空の1本の“ロープ”の上を、綱渡りをイメージしながら歩く。すべての神経を研ぎ澄ませて足に意識を集中する。実際にそこにないものを感じ、それを役者として表現するには何が必要なのか? ピーター・ブルック氏が教える本物の表現が生まれてくるためのヒントとは? 終始、重厚で静謐な雰囲気のなかで、ピーター・ブルック氏のインタビューとレッスンを受ける俳優らの演技が淡々と続く。86分の作品を最後まで見るのは苦痛かもしれない。それでもこの映画に価値があるのは、心して哲学書を読むときのように、考えることや今の自分にないものを感じること、そして実際にそれを試してみるという体験が得られるからだ。 取材に応じてくれたサイモン氏は、本作品の作風から漂ってくるような雰囲気の人柄ではなく、快活でユーモアがあり、フレンドリーだ。それでいて深い知性を感じさせる。「この作品からは、ひらめきや動機が与えられる。開放感があり、感情的だ。人生や創造とは何なのかといったエッセンスを抽出してくれる。JOY(喜び)もたくさん含んでいる」と話す。ここでいうJOYは、意味が深い。一時的な快楽ではなくて、内から溢れ出てくるような深い喜び=生命が溢れるような喜びを指している。 ピーター・ブルック氏は一瞬の静寂、感覚を研ぎ澄ますと言った意味の言葉を何度も使っている。これは演劇でなくていい、モノづくりの職人やスポーツ選手でもいい。とにかく一つの道を極めると覚悟を決め、常に究極を追い求めようとする人間だけが表現できるJOYがこの映画に盛り込まれている。 そもそもピーター・ブルック氏の稽古場の様子は、門外不出だった。劇場の支配人にも公開されることはなかった。そんな稽古場の様子を撮影させなかった父を口説き落とすのに10年かかった。「演劇に関わる人だけではなく、世界中の多くの人に『生き方』を伝えること、世界の人々にその手助けができればと、父は考えを変えたのだろう」と。 その「生き方」とは何なのか? サイモン氏はスマートフォンを指差しながら、こう話した。「今の若者は喜びを、たとえばスマートフォンのゲームに求めてしまうように、バーチャルの世界に入り込んでいる。若者がソーシャルの体験をすることは、実際の人生の喜びよりも貧しい体験だ。この映画を通して、そういうことに気付けるのではないか? そこに引き戻すお手伝いができる」。