歴史的な機体を復元…子孫が再挑戦する88年前の冒険飛行 日仏の国境越え膨らむ夢
1936年11月に佐賀県神埼市の脊振山に墜落した昔の飛行機を復元し、事故から90年となる2026年に佐賀から東京まで飛行させようとする取り組みが日仏両国で進んでいる。一体、どんな飛行機なのか。なぜ飛行させたいのか。国境を越えて壮大な夢を追う人たちの思いを探った。 【写真】フランスで復元中の航空機「コードロン・シムーン」やジャピー氏を救出する旧脊振村民 「今や自信を持って、エンジンを載せて飛ばすことは可能と言える」。今月19日、県庁で開いた会見でニコラ・ジャピーさん(68)が熱く語った。ちょうど88年前のこの日、脊振山に機体が墜落し、救助され生還したフランス人飛行家、故アンドレ・ジャピーさんの兄の孫だ。 報道などによると、冒険飛行家のアンドレさんは当時32歳。新鋭機「コードロン・シムーン」で、パリ-東京間を100時間以内で飛ぶ懸賞飛行に挑んでいた。しかし脊振山上空の悪天候で墜落。脊振村(現神埼市)の村民が消防団に連絡し、操縦席で血まみれになっていたアンドレさんを救助、医師が応急手当てを施した。左大腿(だいたい)部骨折の重傷を負ったものの命を取り留め、4カ月後に退院した。ニュースは当時、日仏両国で大きく報じられた。 √ √ 子どもの頃、救出劇の話を両親から聞き「なんと素晴らしい人たちがいるのか」と感じていたニコラさん。事故の後、アンドレさんからアドバイスを受けた日本人飛行士は無事に東京からロンドンまでの長距離飛行に成功していた。 ニコラさんは、アンドレさんが成し遂げられなかった佐賀-東京間に再挑戦し、冒険飛行を完結させることが両市や両国の友好関係の強化につながると考えた。フランスで先んじて機体復元に向けて取り組んでいた復元協会と出会ったことで、プロジェクトが動き出した。 日本側のプロジェクト関係者によると、シムーンは「砂漠の熱風」を意味する。飛行士で作家だったサンテグジュペリもかつて所有し、シムーン機で飛行中にリビア砂漠に墜落した体験が、名作「星の王子さま」につながったとしている。 フランスでは、こうした歴史的な機体が評価され、復元した場合に得られる飛行許可証がある。 とはいえ復元作業は容易ではない。当時の技術を有するエンジニアもいない。安全面に直結するエンジンの復元は、最新の機械を用いて部品を一つ一つ作り直し、組み上げていった。今夏にエンジンが完成。搭載した別の機体が飛行に成功した。今後は、エンジンをシムーン機に載せて飛行許可証を取得、フランスで試験飛行し、日本の国土交通省との調整も進めていく。 √ √ 墜落現場となった神埼市の山中には、事故から30年後の1966年に「ジャピー機遭難之地」の石碑が建てられ、今も静かにたたずむ。96年には当時の脊振村とジャピー氏の古里ボークール市が「赤い翼」の取り持つ縁で姉妹都市になった。現在も、市長や職員らが2年ごとに互いを訪問するなど、交流は続いている。 機体の尾翼と主翼の一部も市で保管されており、ニコラさんらは昨年4月、実物に触れて確認した。市企画課は「飛行が近づけば機運を醸成していきたい」としており、夢は国境を越えて膨らんでいる。 課題は残る。一つは、日本側で飛行許可が得られるかどうか。さらに、完成した機体をフランスから日本へ輸送する方法も難問だ。友好の始まりとなった赤い翼が再び、佐賀の広い空に飛び立つ日は来るのか-。 (井中恵仁)