『グラディエーターII 英雄を呼ぶ声』巨匠リドリー・スコットによる真正面からの“再創造” ※注!ネタバレ含みます
※本記事は物語の結末に触れているため、映画をご覧になってから読むことをお勧めします。 『グラディエーターII 英雄を呼ぶ声』あらすじ ローマ帝国が栄華を誇った時代―。ローマを支配する暴君の圧政によって自由を奪われたルシアス(ポール・メスカル)は、グラディエーター(剣闘士)となり、コロセウム(円形闘技場)での闘いに身を投じていく。果たして、怒りに燃えるルシアスは帝国への復讐を果たすことができるのか。
真正面からの“再創造”
『グラディエーターII 英雄を呼ぶ声』(以下『グラディエーターII』)は、24年前に発表された『グラディエーター』(2000)で描いた世界を、異なる設定やキャラクターで変奏し大胆に別のステージへと向かう発展性はそれほど感じられない。ただ純粋に、監督リドリー・スコットにとって最大の興行的成功をもたらした前作を基とし、時代に応じた配役とスケールアップを観客に提供するという、エンタテインメントをまっとうする気概がみなぎっている。敵対する国家間における終わりなき報復の連鎖や民族分断、あるいは異質で攻撃的な指導者といった、今の世界情勢を反映したメッセージが具に感じられるかといえば、娯楽要素が沈むほど前面に主張を放つものではない。(ここについては後述) かつては自作の続編展開に対して慎重な構えを見せていたスコットだが、『エイリアン』(79)の前史ともいえる『プロメテウス』(12)では『エイリアン:コヴェナント』(17)と連続性を持ち、『エイリアン』あるいは『ブレードランナー』(82)などの自作に直結する続編は他者に演出を委ねながらも、プロダクションの行程で密接な関わりを見せてきた。そこへきて『グラディエーターII』は敢えて自ら監督に着手するところ、同じテーマをどこまでアップデートできるのかという真正面からの「再創造」に興味がいく。なので、ひいきの監督がかつて成功したジャンルにもう一度アクセスすることを、「ビジネスに魂を売った」などと禁欲的に拒もうとは思わない。 こうした「再創造」という見立ては、おのずと本編に顕著だろう。例えば冒頭、前作ではローマ軍のゲルマニア遠征における蛮族との地上戦を描き、観客を凄惨な争いの渦中へと投げ込んだが、今回はローマ帝国によるヌミディア王国侵略の海上戦を置き、絶息する深海へと観る者を落下させていく。これは前作の同工異曲に他ならないが、そこは同じシチュエーションを避けたサービス演出でもあり、24年間のうちに大きく進化した、CGIによる水域描写の誇示ともとれる。CGIといえば、コロッセオ(闘技場)を中心とするローマ帝国のランドスケープも、質感や生活感にまつわるディテール表現がより向上しており、その精度はもはや前作とは比較にならない。 そのコロッセオでおこなわれる闘技大会も、凶暴なヒヒや巨大なサイを剣闘士と戦わせたり、あるいは海に見立てたアリーナにサメを放ち、落水した戦士が餌食となるなど、野蛮な残酷ショーとしての要素が膨らみを増している。これは前作でストーリーボードを準備していながら実現できなかったもので(特に巨大サイ)、いわばやり残しを果たそうとするようなニュアンスを含んでいる。