同じ見た目の「感情をもたないゾンビ」と「人」を見分けられる? あなたの思考力を問う2問
他人の感情を完全に読み取ることは不可能
「哲学的ゾンビ」に登場するゾンビは、見た目は普通の人間です。違うのは意識がないだけ。感情が表に出ていても、それは機械的に計算されて出力されているだけに過ぎません。 ただ、実際の人間はどうでしょう? 表に出している感情と実際に心の中で思っていることは必ず一致しているのでしょうか? 次のような経験はないでしょうか? ・納得していないけど、とりあえず「ごめん」と謝っておこう ・もらったプレゼントが嬉しくないけど、とりあえず「やったー」と喜んでおこう ・ケンカをしているときに「お前なんか死んじゃえ」と言ってしまった このように、みなさんの日常でも表に出ている感情と心の中で思っていることが違うことはよくあることなのです。「哲学的ゾンビ」に登場するゾンビを他の人がゾンビだと特定をすることは極めて困難なことだといえるでしょう。 そもそも、感情とは自分が経験したことを主観的に感じることであり、他人からはわかりません。感情は、家族や友達、パートナーであっても絶対に100%理解することはできません。あなたは果たして本当にこのゾンビを見分けることができるのでしょうか? 「哲学的ゾンビ」は、意識の本質や意識の起源、身体と心の関係などを考えさせられる思考実験です。結局、人間は自分以外の感情を完全に読み取ることは不可能だということがわかります。
曖昧な概念にひそむ「砂山のパラドックス」
では、もう一つの思考実験を紹介します。 あなたは、夏休みに海に行きました。砂浜には大きな砂山が置かれていました。砂山から1粒、砂を取ったら、どうなるでしょうか? あなたは、恐らく「砂山のまま」と答えると思います。しかし、この砂山から砂を取り除く作業をずっと繰り返したらどうなりますか? ついには、砂山は砂1粒になってしまうかもしれません。それは砂山といえるのでしょうか? これは「砂山のパラドックス」、または「ソリテスのパラドックス」ともいわれています。ソリテスは、ギリシャ語で積み重ねるという意味のソロスが語源になっています。このパラドックスは、言葉の曖昧さによって、生み出されてしまうパラドックスなのです。 砂山は何粒か定義されていません。そのような曖昧な概念に対して、論理を適用すると変な結論が導き出されてしまうのです。新しい商品をつくるときの会社の会議も、この砂山のパラドックスと同じようなことが起きていると考えられます。 「新規性を大事にした商品を考えろ!」 「売れる商品をつくれ!」 「人気が出るサービスを提供しろ!」 こうした号令が上司から伝わっていても、何から始めればいいのかわからなくて、迷ってしまう人も多いでしょう。そのとき、砂山のパラドックスのような問題があることが多いのです。 こうした問題を避けるためには、新規性とはどのような方向の新規性を考えるのか、また、何を表すのか、売れるとはどれくらい売れることなのか、などを決めておくことが必要です。 概念が曖昧なことが原因で生み出されるパラドックスなのです。 この「砂山のパラドックス」と同じように、定義している概念が曖昧で、結論が奇妙になってしまうパラドックスはいくつもあります。
笠間リョウ