きっかけは1通のメール、英ロイヤルバレエ団の最高位ダンサーになる夢をかなえた金子扶生さん 「ライバルは過去の自分」練習が自信になる【働くって何?】
多くの日本人が国際舞台での活躍を目指して、日本から飛び立っている。その1人が大阪市出身のバレエダンサー金子扶生さん(32)だ。1通の電子メールをきっかけにイギリスに渡り、世界最高峰の英国ロイヤルバレエ団で最高位の「プリンシパル」の称号を手にした。「ライバルは過去の自分。昨日の自分よりうまく踊れるように」。己を信じ、強い意志と努力で2度にわたる大けがを乗り越えてきた。(共同通信ロンドン支局=宮毛篤史) 【写真】日本人2人、同時金賞は初 ジャクソン国際バレエコンクール
▽小学6年生で宣言「世界に認められるダンサーになる」 母に連れられ、3歳上の姉と同じバレエ学校に入ったのは3歳だった。小さな頃は教室に行くのが嫌な時もあり、「練習がちょうどお昼寝の時間と重なって、もう眠たくて眠たくて。車で教室に向かう時『行きたくない、行きたくないー』って泣いていた」。 最初の転機は小学6年生のときに「卒業の思い出に」と母にお願いして出場したコンクールだ。同世代のうまさに衝撃を受け「もっとうまくなりたい」と願った。卒業式では証書を受け取った際に「世界に認められるダンサーになりたい」と舞台の上で宣言した。 ▽練習の虫、寝るのは午前2時か3時 コンクールをきっかけに練習の虫になった。もともと踊ることは好きだったが、さらに「努力すること」を覚えた。バレエ学校では恩師の地主薫さんに付き添ってもらい、午後11時まで練習を繰り返した。日付が変わる前に家に帰り、ご飯を食べ、宿題を片付けて寝るのは午前2時か3時ごろ。「昼間は眠すぎて、高校では私が授業中に寝ることは有名でした」と笑う。 地主さんは「金子さんは子どもの頃からおしゃべりしているときはほんわかした感じですが、レッスンに入ると研ぎ澄まされた(雰囲気に)。大人になっても変わらなかった」と振り返る。
▽努力を自信の糧に、海外コンクールへ 母校の私立四天王寺高校は文武両道の名門で知られる。芸術やスポーツ分野に秀でた生徒を広く受け入れており、卓球の東京五輪銀メダリスト石川佳純さんも学年違いで通っていた。「バスケットボールが上手な子や卓球とか特技を持った子が集まり、とても楽しく刺激のあるクラスでした。みんな私がバレエで疲れていることも理解してくれた」。 努力が実を結び、コンクールで金賞を初めてもらった時は泣いた。「ここまで努力してやっと身になるんだと実感し、恵まれた気持ちになった」。自信につながり、海外のコンクールに出場するようになった。 遠征には地主さんが付き添い、1カ月近く同じ部屋に寝泊まりして指導することも。バレエで叱ることはなかったものの、金子さんは朝起きるのが苦手だったらしく「自分の娘のように小言ばかり言っていました。あの日々は宝物です」(地主さん)。 ▽動画を送り、バレエ団から返事「すぐに来て」