きっかけは1通のメール、英ロイヤルバレエ団の最高位ダンサーになる夢をかなえた金子扶生さん 「ライバルは過去の自分」練習が自信になる【働くって何?】
分岐点が訪れたのは、2010年にアメリカで開かれた世界三大コンクールの一つジャクソン国際バレエコンクールに出場したときだった。金子さんの演技を見た「ロイヤルバレエ団の監督の友達」という不思議な人物から声をかけられた。「ここに動画を送りなさい」。名刺をもらい、言われた通りメールを送るとバレエ団から連絡が来た。「ロンドンにすぐ来てください」。 ロイヤルバレエ団は、アジア人ダンサーが海外で活躍する道を切り開いた吉田都さんがプリンシパルを務めたことで知られる。金子さんにとって、DVDでその演技を食い入るように繰り返し見た憧れの存在だった。 渡英し、1週間が過ぎたころ監督に用件を知らされないまま呼び出された。部屋に行くと「入団」を告げられた。海外で活躍する日本人ダンサーは現地のバレエ学校に留学するケースが多く、直接スカウトされるのは異例だ。「英語を全くしゃべれず、ほとんど意味が分からないまま」とんとん拍子で話が進んだ。
いったん帰国し、ビザを取得して入団したのは2011年。吉田都さんが前年に退団し、入れ替わりとなった。家探しや住民票の登録など「何から何まで」自分でやらなければならず苦労した。 ▽晴れの舞台で大けが 慣れない海外生活に苦闘しながらも着実に成長し、2013年に主役級やソロを踊る「ソリスト」に昇格し「ドンキホーテ」に登場するヒロインの町娘キトリ役に抜てきされた。順風満帆に見えたキャリアだったが、晴れの舞台で突然暗転する。 練習で忙しく、体力的にも精神的にも疲れていたが「その日は本当に楽しく、こんなに幸せでいいのかと思うぐらい幸せに満ちた踊りをしていた」。しかし、第1幕が開けて間もない時にジャンプして着地する際に「左膝が完全にはずれた」。頭の中が真っ白になった。幕が閉まり、オーケストラの演奏が止まった。 バレエダンサーは体を酷使し、けがが付きものだが「これは普通ではない」と直感した。直後は不思議と痛みを感じず演技を続けようとしたものの歩くことしかできなかった。「演技できます」と訴えたが「膝がまたガクッてはずれた。断念せざるを得なかった」。それでも、ベッドで休むと第3幕で復帰できると期待した。その時に監督が来てこう告げられた。「大丈夫。もう(無理)しなくて大丈夫だよ」。