【パキスタン代表監督奮闘記(3)】「クリケット野球」で世界に挑む
番号が裏返ったユニホームは認められず
そして全チームが揃う初日の代表者会議。ユニホーム、バット、ヘルメットに不備があったパキスタン野球は、アジア野球連盟から指摘を受けた。白い綿シャツにパキスタンのロゴを付けただけの「ホーム用ユニホーム」が、ユニホームとして認められなかったのだ。ビジター用の緑のユニホームは番号が裏返っていて、そもそも番号として読めなかった。登録名簿と番号が違ったり、なぜかリトルリーグのロゴが入っていたりと、さんざんだった。 その問題自体は台湾野球協会やアジア野球連盟の協力で解決することができたが、私は先方の物言いに違和感を感じていた。確かに、誰がどう考えても、国際大会に参加してユニホームがないと言うのは信じられない。私も日本人なので、大会役員の気持ちも十分に理解しているつもりではあった。しかし、問題が発覚するつれ、半分呆れ顔で「バカにするよう」な物言いになっていった。
「一生懸命」のレベルは国によって違う
会議中、発言はしないが、英語を理解するパキスタン人は、明らかに落ち込んでいた。私は「相手のことを考えられない」連盟側の横柄な態度が悔しくて、パキスタン人に対し申し訳ない気持ちと恥ずかしい気持ちだった。パキスタン野球連盟に大きな非があり、当然の状況ではあったが、この会議に出席したパキスタン人は連盟の人間ではない。不可解な点を追求すればきりがないが、大会役員の物言いは、それに見合う人間、いわゆる十分な環境がある国だけが野球をすればいいと言っているようにも感じた。アジア野球連盟本部が置かれる台湾の人々がこういった態度で臨むのであれば、アジア野球の将来はない。 この苦しい環境でも、なんとか頑張ってきた選手たちをフィールドに立たせたい。そして、一生懸命のレベルは、各国の状況によって違うということを理解してほしかった。私は、台湾野球協会関係者を会議室の外に呼び、事情を説明し自分の想いを伝えた。多少、口論にはなったが、ピンチはチャンス。その後は、お互い理解することができ、良い関係を築くことが出来た。これから起こりうることを示唆するようなスタートになった。(次回に続く)