まったく悪びれずに人を殺す…「真面目な公務員」が「思考停止」することで生まれた「自覚なき虐殺者」という「最悪の史実」
クローン人間はNG? 私の命、売れますか? あなたは飼い犬より自由? 価値観が移り変わる激動の時代だからこそ、いま、私たちの「当たり前」を根本から問い直すことが求められています。 【写真】「真面目な公務員」が「思考停止」することで生まれた「自覚なき虐殺者」 法哲学者・住吉雅美さんが、常識を揺さぶる「答えのない問い」について、ユーモアを交えながら考えます。 ※本記事は住吉雅美『あぶない法哲学』(講談社現代新書)から抜粋・編集したものです。
思考停止した遵法は罪である
ソクラテスのエピソードからわかったことは、人が他人と社会生活を営んでいこうとする以上、学級崩壊のようなことになってはならないから、個人的に不満があろうとも法秩序を守る必要がある、ということである。 また山口判事のエピソードからわかったことは、三権分立の厳格さと、それだからこその立法府の責任の重さである。 もちろん悪しき法は改善されねばならないが、それは議論と説得によってであって、破ることによってなされてはならない、したがって、国家の秩序維持のために、法に従う義務があるという見解である。 2人とも命を賭けた頑固な遵法者だが、なぜそうするのかについてのちゃんとした思想がある。そしてそこから我々はいろいろと学ぶことができる。 ソクラテスの考え方を一面的に極端化すれば、「不正義はあっても秩序ある国家の方が、正義があっても無秩序な国家よりよい」(ニッコロ・マキャヴェッリ)という格言になる。 だが、秩序が安定しているとしても、その法の不正の度合いがあまりに高い場合には、それを闇雲に守ることで存続させてよいのだろうかという疑問がわいてくる。
「生真面目な公務員」が陥った「思考停止」
ひたすら法律を忠実に守る生真面目な一公務員が、その結果として多くの無辜の人々の生命を葬ってしまったという最悪の史実がある。ナチス・ドイツの親衛隊幹部であったカール・アドルフ・アイヒマン(1906─1962)である。 彼はナチス・ドイツの有能で忠実な歯車として、アドルフ・ヒトラーのユダヤ人絶滅作戦に関する命令を何の躊躇もなく遵守し、ユダヤ人を強制収容所に送る許可を淡々と出し続けた。彼は自分の職務の意味については何も考えておらず、ただただ命令と法を守るのみであった。結果として彼に送り出された大勢の無辜のユダヤ人が殺害されてしまった。 戦後、アルゼンチンに逃亡していたが、1960年にイスラエルの特務機関により逮捕された。エルサレムでの裁判で彼は防弾ガラスに囲まれた被告人席で「私は上司の命令に従ったまでです」とひたすら主張し続けた。もちろんそのような弁明は通用せず、彼は絞首刑となった。 この件についてハンナ・アーレント(1906─1975)という哲学者は、アイヒマンの「完全な無思想性、それが彼があの時代の最大の犯罪者の一人になる素因だったのだ」と述べている。 専門的知識と能力という点では有能であっても、人間として思考することを放棄してひたすら命令に従い続け、その結果については上司に責任転嫁する一役人の、凡庸という名の罪深さが浮かび上がってくる。 しかも、彼が何ら悪びれることがなかった(ように見える)ことが一層恐ろしい。思考のない遵法こそ最もたちが悪いのである。 これから役人になろうとする若者たちには、決してこんな人間になってほしくないと切に願う。アイヒマンの裁判については、『スペシャリスト~自覚なき殺戮者~』というドキュメント映画があるので、機会があったら是非見てほしい。 さらに連載記事<海外のカジノで賭博をしても捕まらないのに、日本だと逮捕される「驚愕の理由」>では、私たちの常識を根本から疑う方法を解説しています。ぜひご覧ください。
住吉 雅美