みんなと違うことが、別に気にならなかった――嫌みなく自然体、森泉の「育ち方」
厳しい父と、「バレなければいいよ」と好きなことをさせてくれた母
森英恵のクールなビジュアルから、勝手に「森家の家訓」は厳しそう、と想像してしまうが……。 「ママモリも母も、『こうでなきゃダメ』っていう押し付けは一切なかった。でも、父は厳しかった。昔はすごい亭主関白で。自分で冷蔵庫を開けたこともなければ、お風呂を入れたこともない。さすがに最近の父は自分で冷蔵庫を開けるし、お茶も出すようになってますけど」 祖母や母よりも、父が怖かった。ジャンクフードに炭酸飲料は禁止、テレビは1日1時間までだった。 「でもね、全部こっそりやってた(笑)。母は『バレなければいいよ』って、好きなことをさせてくれた。そこはバランスよかったと思いますね。母も、父と喧嘩すると、『もういい!』って出てって、ママモリの部屋で愚痴を聞いてもらってました。美味しい赤ワインをご馳走になって、すっきりして戻ってくる。ママモリは、家族みんなの相談役なんです」 今は父にもとても感謝している。 「高価なプレゼントをもらったことはなかったけど、何よりも教育にお金をかけてくれたことはありがたかったですね。一人で飛行機に乗れるようになったら、小学生のうちからアメリカの祖母の家に行かせてくれたり、サマーキャンプ、留学とか、とにかく『海外へ行ってこい』って」
パリの「社交界名簿」に名を連ねるも、アルバイトは失敗の連続
有名な一族だけに、ネットには森家に関するさまざまな情報が飛び交う。 なかには大げさな噂や嫉妬まがいの憶測もあるが、出回るセレブ伝説はどれも、森家への憧れと注目の高さを示していそうだ。 ちなみに「パリの社交界名簿に名を連ねている」話は事実だ。森三姉妹は全員、フランスで社交界デビューを飾っている。森も、「ママモリ」がデザインしたオートクチュールのドレスとミキモトのネックレスを身につけ、パリの高級ホテル「オテル・ドゥ・クリヨン」での“ル・バル・デ・デビュタント”でデビューした。この時、『ヴォーグ』誌の編集長アナ・ウィンターや、ロシアのミハイル・ゴルバチョフの娘たちも一緒にデビューをしたという。 そんなセレブの中のセレブだった森も、若い頃はコーヒーショップでアルバイトをしている。 「へえ、ネットにはそんなことまで載ってるの? やだあ……ほんとですよ(笑)」 はじめからファッションモデルを目指していたわけではない。「大勢の前で、水着でランウエイは恥ずかしくてできないかも」くらいの感覚だった。 一時はアメリカで大学進学するか、日本に帰るか迷ったという。 「両親は、高校を卒業したら日本に戻ってきて欲しかったみたいで、『帰ってくるなら、犬を飼っていいよ』って。それまでペットは小動物しかダメだったから、嬉しくて! それで帰国したんですけど。父は、アルバイトなんて絶対反対。もちろん内緒でやりました。最初は、友達と一緒に原宿のコーヒーショップで。お金を稼ぐのってこんなに大変なんだ! ってビックリして、すぐ辞めちゃって。歯科助手もやりました。バキュームってあるでしょ、あれで間違えて患者さんのベロ吸っちゃったり、失敗だらけ。数年ぶりに暮らす家族とちょっと折り合いが合わなかったりして、そんな私を救ってくれたのが、ディエゴだったんです」