加藤ローサ『ゼクシィ』CMオーディションでのハプニング「いまでも大切に持っている」ラッキーアイテム
今日ではけして珍しくないハーフタレントの草分け的存在の加藤ローサさん。2004年に結婚情報誌『ゼクシィ』の2代目ゼクシィガールに選出されブレイク。「理想の花嫁」(と言っても、当時はまだ18歳の高校3年生)として一躍注目され、その後は多くのドラマや映画にも引っ張りだことなった。そんな彼女も今はアラフォー世代の2児の母。そんな加藤さんにとっての人生のCHANGEは?【第1回/全4回】 ■【画像】加藤ローサが「いまでも大切に持っているんです」と語る『ゼクシィ』ラッキーアイテム 「いっぱいありましたよ、(人生の)転機は」 2代目ゼクシィガールとしての「美少女」ぶりと変わらない加藤さん。最初にこちらの取材趣旨を簡単に説明すると明るく、そう答えてくれた。加藤さんは父親がイタリア人で母親が日本人。神奈川県で生まれ幼少期をイタリアで過ごし、小学校に入学する前に帰国し鹿児島で暮らすこととなった。 「(鹿児島で)最初に暮らしたところはすっごい田舎で全校生徒も50人ぐらいしかいなかったんです。だから、もの珍しいみたいな目で学校中から見られてすごく違和感を感じていて、子供の頃はずっとハーフコンプレックスを抱いていたんです。それで小学4年生の時にもっと生徒のいるマンモス校に転校したんですけど、この時はハーフだということを伏せていました。と言っても顔もこんな感じだったから伏せても意味はなかったんですけどね(笑)。ローサという名前も本名なので…、とにかく嫌で変えたいとマジで思っていたくらいだったんです」
高1の時に『志村けんの花嫁を探そうコンテスト』に出場。それが加藤さんの運命を変えた。 「当時は鹿児島に住んでいて、まだ素人でした。高校に進学したのは良いんですけど、特に夢も希望も抱けず、学校生活も楽しくないな~って時に、横浜に住む叔母がオーディション雑誌を送ってくれたんです。そこには色々なオーディションの情報が載っていたんですけど、その志村さんのが一番面白くて楽しそうと思って応募しました」 そして見事にグランプリを受賞。 「当日は志村さんもいらっしゃっていました。会場が長崎のハウステンボスだったので、グランプリが決まった後はハウステンボスの中を白馬の馬車に乗ってパレードして、その流れで記者会見もやったんです。次の日にはちょっとワイドショーにも出させてもらって、それを見たタレント事務所の方が声を掛けて下さって……、それが芸能界に入るきっかけになったんです」