大事故から奇跡の復活を遂げた浅川紫悠が“入場無料”の自主興行『千葉BLOOM』を開催「私のニコニコしてる姿を見てほしいなと思っています」
浅川「こんな怪我で復帰したら、お客さんが…」
フリーランスで活動する、浅川紫悠が10月14日(月祝)に千葉・2AWスクエアにて開催する自主興行『千葉BLOOM』に向けて大会PRでプロレスTODAY編集部に来社。 【動画】浅川紫悠の大事故からの復帰戦(大阪プロレス) 浅川は昨年12月交通事故に遭い大ケガをして入院、今年の8月に大阪プロレスで復帰した。 今回の自主興行は入場無料で行われるが、開催に至った経緯や大怪我について、欠場中の思い、各カードの見どころを語った。 『千葉BLOOM』 日時: 10月14日(祝・月) 開場12時30分/開始13時 会場: 千葉・2AWスクエア ※入場無料 ①交通事故、欠場期間の思い ーーまずは大変な事故を乗り越えて復活された事におめでとうございますという言葉をかけたいと思います。実際、どんな状況だったんですか? 交通事故に遭ったときには、もう記憶はなくて。もう気づいた時は、処置室にいたんですよね。そこで縫い針をバンバンバンバン縫っていってるところで、痛!って思ったのが最初です。 ーー気づいた時は、もう縫合手術の時だったんですか? はい、そうです。合計50針縫いました。 ーー50針、すごい。 後頭部の皮がべローンとめくれてしまって、あと目も、眼窩底の骨が、前に飛び出した状態だったので、目の手術も5時間ぐらい時間かかったのかな。 ーーそれは一緒にやってるんですか。別々に? 別々です。最初に後頭部の頭蓋骨を洗浄して、縫い合わせて。後日、大学病院で目の手術をしました。 ーーその時、精神的にもすごく参ったと思うのですが、どんな状態だったんですか。 いや、その時には本当に意識がないので、なんかふわふわしてる状態だったので、まだ全然わからなかったんですけれども。でも、交通事故に遭って、その日の晩に意識回復して、やばい、家族に会われへんっていうことをまず感じたんですよね。そして、ファンの方はどうしてるんだろうと思って、動かない手を一生懸命動かして、携帯を取って、ちょっと見たんですけど。そしたら自分がニュースになっているっていうことに気づいて。いや本当に心配かけたなっていう思いが、もう本当に強かったです。 ーーその後もしばらく意識朦朧というか、そんなだったんですか? 意識が半分あるような感じというか、なんかふわふわしてます。それで手足もなんか自由に動かせないので。動かすのがすごく大変で、力があんまり入らなかったんですよ。でも、その状態でも、事故の当日のその晩、小便に行きたくて。でも中を見たら、オムツを履いていたんですよ。 ーー管は通されてなかったですか? その時は、まだ全身麻酔とかされていなかったので。だから、オムツを履かされていて。オムツで小便するのも嫌やなと思って、もう一生懸命動かして動かして動かして、もう壁はいずり回ってトイレ行きましたよ。(笑) ーーすごいですね。いやもう、驚異の回復だけど、それ普通にナースコール呼んで、尿瓶でやってもらうのが一番早い。 いいんですけども。いや、ナースコールして尿瓶で小便で、私のを見られてもいややなって思ったので。(笑) ーーそうなんですか(笑) そこはもう一生懸命行って。 ーーそれは看護師さんから怒られましたか? はい。しっかりと(笑) ーー浅川さん何してんのって(笑)。 怒られました(笑)。 ーーそれは怒られる。だって絶対動いちゃ駄目でしょ、そんな状態だったら。 そうですね。 ーーでも、そこはプロレスラーの驚異ですね。でもその時って、奥さん、その状況を知って来られてからのことって覚えてます? 奥さんが、その当日の晩に面会に来たんですけども。いやでも、かけられた言葉もほぼ覚えてない。 ーー覚えてないですよね、そんな状態だったら。 でも、その時の顔が全然違う状態だったんで、それに多分、奥さんはショックを受けたっていうのを後日聞きました。 ーー昔、ビートたけしさんが、バイクで交通事故に遭った時、すごい状態で記者会見をやったことがあって、最終的には元に戻ったんですけど。浅川選手も、相当顔が変わっていたんですかね。 そうですね。 ーー自分では、そこは鏡とかは見たりしたんですか。 鏡は見ました。 ーーだいぶ変わっているなと思いました? 変わってましたし、あと両目を縫合手術をしているんで。 ーー両方やっているんですか。 なので、目が全然開いていなかったんですよね。視界が、もうめっちゃ薄い状態で。 ーー腫れている感じなんですか? うん、しかもバーンと腫れていますし。なんやろ、北斗の拳のケンシロウに秘孔を突かれて、もうバコーンになる前の状態ですね。 ーーそこから奥様の献身的な支えもありながら、リングに復帰というのは気持ちが至らなかったんじゃないですか。 いや、それがまた、絶対復帰したろうっていう、逆に思いました。 ーー逆に。すごい。 いや、こんな怪我で復帰したら、お客さんが大爆発するのは間違いないじゃないすか。これはしめしめと思っちゃったんすよ(笑) ーーもうね、発想がちょっと常識外。すごく常人では考えられない発想ですね。だからそれが、復帰へのモチベーションになったんですかね。 モチベーションになってました。あと、SNS上に来るコメントだったり、メッセージだったり。本当に著名な方からもメッセージが来たりとかしてたので、それが励みにもなりましたね。 ーーファンが支えになってくれて、浅川選手も頑張ってやっていこうという感じになったってことですね。 はい、そうです。 ーー欠場期間中に復帰するという気持ちを持ちながら、でも実際、欠場期間って、やっぱり長かったじゃないですか。怪我のリハビリとか、そのあたりはどうだったんですか? リハビリというか、やっぱり退院してからは、本当に体が動かせなくて。外に出ても、歩行が5歩、10歩あればもうそれでしんどくて、息ついちゃうぐらいの状態でして。だからもうそこから、どんどんどんどん体を動かす、動かせるようになった段階で、自分で膝つきの腕立て伏せをしたりとか。スクワットぽい動きをしてみたりとか、そういうことで自宅でもリハビリはしてましたね。 ーー入院期間って、何日間ぐらいだったんですか? 合計で2週間とか3週間とか。 ーーやっぱり常人離れしてますよね。やっぱり日頃の鍛錬のおかげなんですかね。 そうですね。いや、それよりも何か、気持ちが突き動かしてくれた感じはありますね。やっぱりプロレスラーなので。普通の人とは違うことをしないとっていうのは、常々思っていたので。その気持ちが、怪我してる状態にも宿っていたんでしょうね、 ーー入院初日に目が覚めて、トイレに行くなんて、そんなの普通絶対に無理ですよ。 いやそうなんすよ。痛みの感覚も、若干バグっているんでしょうね頭が。普段から痛いことばっかりやっているんで。 ーーいやでもそこから本当にすごい大変な思いだったところから、ようやく復帰。欠場期間は、トータルどれくらいになったんですか? トータルで言うと、8ヶ月かな。 ーー8ヶ月。でもリング上がる時怖くなかったですか? 怖かったです。 ーー怖いですよね。受身取るのって、やっぱり頭、首の部分も、当たる部分がやっぱり大きいじゃないですか。 そうですね。だけども、やっぱり試合をする前に、練習をずっと1ヶ月2ヶ月ぐらい、2AWさんのリングを借りて練習をさせていただいてたんですけど。でも受身に関しては、やっぱり体が覚えてるのか、ちゃんと取れているんですよね。でもやっぱり受身を取ると、背中が痛いとか身体の芯が痛いとか、なんかそういうのはあったんですけど、でも脳が揺れたりとかそういうのはなくて。やっぱり体って、すごいねんなっていうのは、そこで感じました。 ーープロレスラーはやっぱりすごいですね(笑)。医者からは、何て言われたんですか、リング復帰に関して。 リング復帰に関しては、医者からは、自分の体と相談してみたいな感じで。 ーーもう自分自身で最終判断してくださいっていう感じだったっんですか。 そうですね。 ーーでもやっぱり頭の部分もあるから、ちょっと恐怖心の方がやっぱり強いのかなって思っちゃうんですけど。そのあたりはいかがでしたか? いや全然。 ーーえっ! いや、全然なんですよ。 ーーすごいですね。奥様からは、復帰に関してはどうでした? 復帰に関しては、やっぱり若干反対はしてたんじゃないかなと思っています。 ーー本当は、100%は言いたいけど、そこまで言えなかったってことなんですかね。 なんかちょっとオブラートに包んで、ちょっと反対する意見を言われてましたね。 ーー引退とかっていうのは、脳裏には浮かばなかったんですか。 いや、全然浮かばなかったですね。いや引退するわけにはいかないので。まだまだ自分が、見てないお客さんに対して、自分のパフォーマンスを見せたいなと思っていたので。 ーーそこから大阪プロレスで8月に復活の狼煙を上げたわけですよね。大阪プロレスさんでっていうのは、何かお考えはあったんですか。 やっぱり怪我で欠場してる間、ちょっとだけ大阪プロレスのファンの人だったりとか、大阪プロレスをスポンサーとしている企業さんであったりとか、ちょっと支援を受けてたんですよね。 ーーそうなんですか。 なので、いや、これは恩返しせなあかんなと。やっぱり今、大阪プロレスに参戦してるので、そこはもう、大阪プロレスで復帰戦をあげたいなと思ってました。 ーーヒールとして活躍されてますね。 大阪では嫌われもんですよ。なんで地元で嫌われとんねんと。 ーー地元なのに(笑)。