【特集】中越地震で被災した池谷集落 ボランティアがつなぐ棚田 震災から20年 《新潟》
歓迎の中での移住
そして、2010年の冬。家族で集落に移住しました。 「ムラに若い家族が来てくれたー」 曽根さんは手放しで喜びました。 曽根武さん(2010年当時) 「何言っているんだ限界集落じゃねえぞと。非常に怒りもあったんです。今回わたし、それを怒らなくてもよかったっていうのは、多田さんが来て、この子が来るっていう。限界集落は解消!あとは希望をもってあすを信じてやるしかない」
集落の農業を法人化 棚田守り続ける
集落を存続させようと、2012年にNPO法人を立ち上げた多田朋孔さん。 地域の田んぼを任され、現在はあわせて約7ヘクタールでコメ作りを行っています。収入も安定して確保できるようになりました。 多田朋孔さん 「言われて嬉しかったのは『お前には厳しくしているけど期待しているから厳しくしているんだ』と言われたはことはありますね。高齢化によって(稲作を)やめたり亡くなったりする人が出てくる中で、バトンタッチの時期がきまして、バトンタッチする中で寂しさもある」
多田さんに繋がれたバトン
多田さんのコメ作りの師匠でもあった曽根武さん。 5年前、81歳で亡くなりました。 妻のイミ子さんが大切にしている写真があります。 朝日に包まれる棚田……武さんにとっては4代に渡って守ってきた土地です。 いまはボランティアだった多田さんが受け継いでいます。
当時を知る人が語る 池谷の20年
曽根武さんの妻・イミ子さん 「地震後にこれだけ栄えたから地震のお陰もあるんさ。あの頃は大変だったけどね、皆さんが助けてくれて、池谷の土地を耕作してくれて、わたしたち幸せ」
ことしも迎えた実りの秋 オーナーたちが稲刈りに集まる
ことし9月。池谷集落は稲刈りのシーズンを迎えました。 集落にはコメ作りを体験できる棚田オーナー制度があります。 この日は棚田オーナーやその家族など約30人が全国から集まりました。イベントを通じていまも都会との交流を続けているのです。
集落で育つ若い力
その中には夢中で稲を刈る小さな背中もありました。 多田さんの三男直史くんです。 かつて限界集落だった池谷で若い力が育っています。 多田朋孔さんの三男・直史くん 「あそこの家に住んでいて毎年稲刈りしている……。こんな大人数でやるときが少ないので新しい感じ」