他人の手帳をのぞき見。“SNSに載らない人生のリアル”を垣間見る「手帳類図書室」
私的で結末がないからこその面白さ
初めは趣味を見つけるつもりで始めた手帳類の収集活動は、いつの間にか10周年を迎えた。志良堂は、手帳類の収集と展示にどのような意味を見出したのだろうか。 「いくら多くの手帳類を集めても『似ている』と感じるものがほとんどないんです。例えば、“恋愛日記”というと、大体似たものをイメージする人が多いかもしれませんが、実際には人によって全然違う。そこに面白さがあると思いますね。 物語などのようにフィクショナルに作られるものと、実際の人間の姿、その差を実感できるのがこの場所なのかなと思っています。小説や商業的な記事とは異なり、ここにある手帳類は結末のない記録ばかり。読んで何の意味があるのかと問われると難しいけれど、『自分はそこから何を読み取ったか』というところまで含めて楽しんでいただくのが良いと思います」 SNSやブログサービスの発達、さらには日記本ブームなど、現代は人に見せることを意識した記録や日記も多くある。それに対して、志良堂が集める手帳類は、あらかじめ公開されることを意識して書かれたものではない。自分だけのために記録し、自分だけが読むために書かれた、ごく私的なものばかりだ。この「私的さ」も志良堂が大切にしているポイントだという。 「もちろん、公開する前提で描かれるものも作品として素敵だと思います。でも、公開することが決まっている日記や記録って、やっぱり人に見せるための内容になっているんですよね。僕からすると、それはもう“うまく仕上がっているもの”なんです。僕が読みたいのは、動機が無い、その人のための、その人ならではのもの。もうここはマニアックなフェチズムの領域かもしれません(笑)」
目的なく、感情を吐き出すための手段
志良堂は自身も手帳類の愛用者で、日常的に一筆箋やスケジュール帳などにメモをする。日記や記録をつけるという行為をどのように捉えているのだろうか。 「僕の場合は、『書かないと忘れてしまうような些細な何か』を思いついた瞬間に、忘れないようにメモをしています。夢日記とかもすぐに書けるように、枕元に手帳を置いたりしていて。“ゲームのセーブボタン”のようなイメージです。少しでも頭をよぎったアイデアを、いつでもまた思い出せるように手帳にセーブしているんです」 一方で、「僕が手帳類の使い方を語るのは間違っているかもしれない……」とも語る。それは、志良堂と同じような手帳類の使い方をしている人は、想像よりも少なかったからだそう。 「何か目的があって手帳にメモをしている人よりも、なんとなく書いているというタイプの人の方が多い気がします。毎日継続的に書いたりするんじゃなくて、感情を吐き出すために使っているような。 すごく大変なことがあった時に気持ちがめちゃくちゃに書かれていて、次の日にはケロッとして軽い内容が書かれている様子を見ると、書くことですっきりするのかなと思います。最初から『〇〇のために』と目的を持って書くのではなくて、なんとなく続けていった結果、副次的にいつの間にか自分に影響を与えるような存在なんじゃないかな」