【皇室コラム】「その時そこにエピソードが」第22回 <スウェーデン大使館ーー王政500周年で始まるリノベーション>
■占領下に届いた王子誕生の親書
戦後の1946(昭和21)年。グスタフ5世からひ孫の誕生を知らせる5月10日付の親書が昭和天皇に届きます。このひ孫が、今年9月に即位50周年の節目を迎えるカール16世グスタフ国王です。 『昭和天皇実録』に、それが戦後初めて外国元首から送られた親書だったことが記されています。GHQ(連合国軍総司令部)を経由して届き、11月28日に発信された返書は、検閲のため開封のまま外務省に渡されました。この返信の親書に使われたのが、戦後の国語改革で告示されたばかりの「当用漢字」と「現代かなづかい」。「平仮名混じりの口語体」でした。皇室の親書でもスウェーデンはエポックを画していました。 2か月後の1947(昭和22)年1月、誕生したばかりのひ孫の父、グスタフ・アドルフ王子が飛行機事故で亡くなり、昭和天皇はGHQを介し駐日スウェーデン外交代表を通じて弔電を送ります。国王からはお礼の電報が届き、その後、親書も寄せられます。 こうした親書や電報の往来から、国際社会から切り離されていた占領下の日本に対し、スウェーデンが戦前と変わらずに接してくれていたことがわかります。その理由は、国王の長男、皇太子時代のグスタフ6世の来日にあるように思われます。
1926(大正15)年9月、のちのグスタフ6世が夫妻で来日します。考古学に関心が強く、前もって千葉県の姥山貝塚と埼玉県の吉見百穴を見学したいという希望が伝えられていました。昭和天皇は来日の前に東京帝大理学部の助教授から貝塚や訪問場所について講話を聞き、グスタフ6世が「風邪で発熱」して6日間も寝込んだ時は侍医を遣わしています。その静養の最中に国王から「友情の徴証と歓待を謝する」という電報が届きます。この時のおもてなしがスウェーデンの厚情の背景にあるように思えてなりません。
■旭川に根付くグスタフ・ヴァーサ
500年前のグスタフ・ヴァーサは遠い存在ですが、その名は北海道旭川市でしっかり根付いています。クロスカントリーのスキー大会「ヴァーサロペット」です。グスタフ・ヴァーサがデンマークの追っ手からスキーで逃れた故事に由来するスウェーデンのスキー大会で、1922(大正11)年に独立を祝う行事として始まりました。「ロペット」は競走という意味だそうです。