「猫が生きていける町はいい町だ」:〈観察映画〉の探究者、想田和弘が『五香宮の猫』を作りながら発見したこと
神社の公共性をめぐる思考
想田が牛窓のコミュニティーに見いだしたのは、対立をゆるやかに解消する「社会のあるべき姿」だった。 「対立が激しく表面化することはあまりないし、異なる意見を言い合うことがあったとしても、そこで決着はつけない。それは牛窓に息づいてきた知恵のような気がします。違いを受け入れることで維持される人間関係があるんじゃないか。それは今の世の中が向かっている、敵と味方にはっきりと分けて、相手を徹底的にやっつけるしぐさやメンタリティーとは違いますよね」 こうしたコミュニティーの中心で神社という空間が果たす役割にも気付かされた。その発見が撮影初期の原動力になったという。 「TNR活動の様子を撮ろうと五香宮に2、3日張り付いてみると、いろんな人がいろんな理由でやってくることに気付くんです。神社って誰もが自由に出入りできる非常に不思議な公共性がある場所なんですね。住民にとっては精神的な支柱でもある。外からも人がやってきて、内と外の交差点にもなる。そういう場所だからこそ、猫も住みつくことができる。こういういろんなことをだんだんと発見するんです」 想田が撮影を通して積み重ねた発見は、やがて現代社会が抱える問題に一石を投じるようなテーマ性を帯びていく。 「発見されるものは何でもいいわけですよ。まず僕自身が驚きたい。ドキュメンタリーを撮ることで、今まで持ってきた世界観が崩れるような体験をしたいんです。それが観察という行為に内包されているんですね。何らかのテーマ性を帯びるのは、あくまでも結果なんです」 とはいえテーマには、やはり作家自身の主体的な選択が入り込んでくるのは避けられないはずだ。 「常識とされているものを覆す何かを、僕が無意識のうちに求めているんでしょうね。世の中の常識や趨勢(すうせい)が、生きにくさや対立の原因を生み出しているところもありますからね。僕自身が生きにくさを感じてきたので、『そうでなくてもいいんじゃないの?』という問題意識はずっと持っています。そんなに競争して、もっと速く、もっと多く、もっと強くって、毎日毎日やらなくていいんじゃないかってね」