マタギに感銘 秋田にUターン、マタギ見習いになった33歳の試行錯誤
「マタギ発祥の地」とされる秋田県北秋田市にUターンで移住し、マタギツアーを企画して失われつつあるマタギ文化と現代の融合に挑戦する男性がいる。その活動を追った。
突然の出来事だった。同市に昨年末、テレビ番組「YOUは何しに日本へ?」の取材クルーがやってきた。日本へ旅行に来たオランダ人男性を連れて、マタギ文化を体験するためだ。 案内人は東京から2011年に同市へUターン移住した織山英行さん(33)。マタギの魅力を知って「世界中の人に体験してもらいたい」と考え、民宿経営者ら地域住民とマタギ文化の体験を取り入れたツアーを企画。行政の補助金を受けながら昨年まで年1~2回、1泊2日から2泊3日のモニターツアーを計6回実施してきた。 マタギとは東北や北海道で伝統的な方法を用いて集団で狩猟する人々。その歴史は長く、特有の宗教観や生命倫理を尊んできたとされる。もともとは狩猟のみを生業として山と共存する人々をマタギと呼ぶが、近年は他に本業を持って週末に入山する人が多い。
ツアーでは鶏をさばいて鍋を作ったり、マタギと山歩きをしてキノコを採ったり魚釣りをしたり、かんじきを作るなどのプランを用意。過去にはターゲットの見誤りやツアー行程の不備など失敗を重ねた。初回は知人しか来なかった。体験者の感想に耳を傾けながら内容や価格を地道に改善し、昨年のツアーには約20人が訪れた。
織山さんは鹿角市出身、秋田市育ち。もともと田舎は大嫌いだった。遊ぶところはない。尋常じゃないカメムシの数も気になる。小さいころはゲームばかりしていた。高校生のころ、テレビで見ていたドラマが途切れ、突然映し出された米同時多発テロの映像に衝撃を受けた。映像表現を志す気持ちが高まり、一浪して東京の美大に進学した。 専攻はメディアアートとドキュメンタリー制作。撮影でチベットに約1ヶ月滞在した際、1泊500円で宿泊したゲストハウスに惹かれた。相部屋で世界各地から来た人々と交流し、異なる考え方に触れた。上京したのは田舎と決別したい思いからだったが、大学進学を喜んでくれた祖母が北秋田市の畑で心臓発作のため亡くなり、心境に変化も生じた。家がなくなれば墓を守る人もいなくなる。いつか秋田に戻り、祖母の家でゲストハウスを経営したいと思い描くようになった。 卒業後は映像制作の仕事に就いた。結婚して子供を育てていたころ、東日本大震災が発生。東京で生活必需品の買い占めが起きておむつもミルクも買えなかった。田舎の両親からの物資援助で生活するうち、夫婦で移住の話が出るようになった。提案したのは妻だ。「いつか秋田に行くんだし、いずれはゲストハウスやるんだし、今行こうよ」 震災の約4ヶ月後に移住して職を探した。山荘の宿泊業務を経て、翌年から広報関係の仕事を現在まで続けている。 当初からマタギに興味があったわけではない。きっかけはマタギに興味のある友人に誘われ、3歳から山を知る地元の男性に山歩きへ連れて行ってもらったことだった。水筒や方位磁石など登山の装備は一切なし。ナタ一本だけを持って軽快な足取りで山に分け入っていくのを見て唖然とした。湧き水の場所を知り、コップ代わりに葉っぱを使い、植物を器用に操って遊び道具にしてしまう。