【毒親問題】家族だからわかり合えるわけではない…許さなくてもいい。親子関係を終了するという考え方
DV・モラハラ加害者の当事者団体「GADHA(ガドハ)」を運営する中川瑛さんは、自身もかつて妻にDV・モラハラを行い、離婚の危機を迎えたことがあるとのことです。中川さんは、被害者側に加害者変容の義務も責任もなく、加害者を許さなきゃいけないわけでもないとしつつも、「人は学び、変われる」と明言します。中川さん原作の『99%離婚 モラハラ夫は変わるのか』『99%離婚 離婚した毒父は変われるか』(KADOKAWA、漫画:龍たまこ)では、モラハラ・DV・虐待の加害者変容の姿が描かれています。後編では、「加害の連鎖」や「子どもから『毒親』と言われた場合の対応」等について伺いました。 <漫画>『99%離婚 離婚した毒父は変われるか』(KADOKAWA)より ■「加害」は連鎖する ――「加害の連鎖」について、最近では「虐待は連鎖しない」という話を聞くこともありますが、中川さんのお考えをお伺いしたいです。 身体的な虐待を受けていた人が、身体的な暴力をふるわない大人になることを連鎖ではないとするなら、確かに連鎖しないことはあると思います。ですが、「加害」や「暴力」はもう少し広い意味があるのではないでしょうか。 「連鎖」とは生活する環境から影響を受けること。親が好んでいたためによく家庭で出ていた食べ物を、自分も好きになることは珍しい話ではないですよね。そうやって親から影響を受けることは良くも悪くもあることだと思います。「加害の連鎖」は親と全く同じ言動をするかではなく、自分や他人を大切にできない言動をすることではないでしょうか。 加害や暴力のある家庭では、親から子へ情動調律(※)がされていません。自分がされなかったことは他人にできない。情動調律できないことが、身体的な暴力として出ることも、言葉で責めたり相手の状況を考慮せずに正論をぶつけたりという精神的な暴力で出ることもあるでしょうし、自分に対しても情動調律ができないので、アルコールやセックス、買い物、SNSなどへの「依存」という形で出ることもあると思います。 ※相手の言動の背景にある感情を想像し、深掘りし、考え方や感じ方を受容すること ――「連鎖」しないためにできることはありますか? 家庭以外から支配的ではないコミュニケーションをどれだけ得られるかだと思います。親戚や学校の先生、漫画やドラマといった作品などから、「愛」や「ケア」を学べることもある。家庭内で起きることは比較が難しいので、普通・当然だと思って生きてきているのですが、外の世界を知ることで違和感に気づく可能性があります。親からの影響は大きいものの、だからといって必ずしもそのまま子に反映されるとは限らないと思います。 「虐待は連鎖しない」という言葉の始まりは、被虐待経験のある人に向けて届けられた言葉だと思っているんです。虐待された経験のある人にとって「連鎖」は重い言葉。「虐待されてたからといって、必ずしも自分が虐待する親にはならない」と、安心して子育てしていけるよう応援の言葉だったのではと。でも実際には虐待されたことを「ケア」して変化しているから連鎖しないのであって、痛みをそのままにしておくと、連鎖してしまう可能性は高いと思います。 ■「愛」と「支配」の違い ――本作では「愛」だと思っていることが「支配」や「暴力」であるという話が出てきます。違いはどんなことだとお考えでしょうか? 夫婦関係とは、お互いに完璧ではなく、嫌なところもあるものの我慢できる範囲で許容し合って、双方の大切にしたいものを尊重し合える関係で生きていくことだと思います。でも人は変わってしまうものです。大切にしたいことや、嫌だと思うことが変わることもあって、それをお互い尊重することが難しくなることもある。そんなとき、関係を終了しても良いと思えることが「愛する」ことに含まれていると考えます。ある種「諦め」を伴うことが愛なのではないでしょうか。 一方「支配」はその人がその人らしくいることを許しません。自分の思い通りに相手を変えようとしたり、もしくは「あの頃のままでいてほしい」と変化を許さないこともあります。あなたが変わることを「自分が許せる範囲」では受け入れるけれども、そうでなければ、暴力(身体的なものに限らず)でねじ曲げようとする。 共に生きる中で、相手の変化を受け入れられないことはありますが、そのときは別れるしかないと思います。相手をコントロールすることはできないし、自分の感情を誰かのために変えることもできない。僕は「無条件の愛」は存在しないと考えています。 ――親子関係の「無条件の愛」はどう思いますか? 「条件とは何か」という話にもなりますが……僕はないと思います。無条件の愛とは、どんな存在であっても愛したり、自分の身を挺してでも守ったりすることを示しますよね。でも現実、そうできる親ばかりではありません。 典型的には虐待があります。子どもに「こうあってほしい」と理想を重ねて、そこから外れることを許さない。「こんなにやってあげているのに、なんでわかってくれないんだろう」と自分の身を粉にするタイプもいます。子どものために身も心も時間も費やしていても、自分の望む姿にならないと受け入れられないのは、無条件の愛ではないですよね。むしろそれを「愛」と言うのはズルいと思います。 子どもから親は、大前提として助けてもらわないと困る関係性です。でも成長につれて、子から親への愛がなくなるときもありますし、子が親を諦めるときもあります。僕は親子関係も終わっていいと考えています。 ――「家族だからわかり合えるもの」という信念は、「どんな親でも許さなきゃいけない」という子どもへのプレッシャーになりますし、現実には子どもに許されなかった親がいる中で、「子どもに許されないと先に進めない」と執着してしまう親もいるのではないかと思います。 「親子ならばわかり合える」という話を必要としている人がいる一方で、「親子だろうと許さなくていい、加害者側が変わっていても許さなくていい」という言葉が響く人もいると思うんです。 「人は学び、変われる」ということは確信しているので、『モラハラ夫は変わるのか』も『 離婚した毒父は変われるか』もその点は描いていますが、だからといって、被害者側が許すか許さないかは別の問題でもあります。だから『離婚した毒父は変われるか』では、「家族だからわかり合える」という結末にはしませんでした。 色々な家族がいるので「家族だから●●だ」と単純化することはできない。幸せな家族もいれば、冷え切った家族もいるでしょう。一緒に生きていかない方がいい関係性もあるんです。 終わる・壊れる可能性があるからこそ大切にできると思います。物の扱いだって壊れやすいものや、壊れて困るものは大事にしますが、壊れても困らないものや、壊れないだろうと思うものは雑に扱いがちです。「終わらせられない関係」はパワーを持っている側に都合が良い。だから本書には「家族だろうと、親子だろうと、関係は終わってもいい」というメッセージを込めました。 でも「人を傷つけたことのある人は幸せになれない」という話でもありません。『離婚した毒父は変われるか』では、自身の加害性に向き合い、学び変化した鳥羽は、家族以外の人とのつながりを得ていきます。部下の野沢の子である柚を孫のようにかわいがり、離婚経験のある同世代の男性2人と支え合いながら一緒に暮らしています。 実際にGADHAに参加し、加害に向き合うことで、家族との関係はなかなか修復できなくても、職場の人間関係が変わったり、地域のボランティアに参加して新しい人間関係を築いていく人もいます。 ■子どもから「毒親」と言われたら ――子どもから「あのときは嫌だった」「毒親」と言われたら、どうすべきでしょうか。 僕はPaToCa(パトカ)という毒親の当事者コミュニティも運営しているので、実際にそういう経験のある人たちともお会いしています。 お話を伺っていると「このときこう思っていたからこうしたのに、どうしてわかってくれないのか」「私も大変だった」「仕方なかった」「それぐらいみんな我慢している」「親になればわかる」などと言い返し、関係が終了に向かってしまうケースが多いです。僕自身も親に伝えたことがあるのですが、それ以降、年単位で返事がきていないので、親は謝らないことに決めたのだと思います。 必要なのは、第一に認めること。言い訳せずに、どう嫌だったのか、どういう風にしてほしかったのかを聞いて、そうできなかったことに対して謝罪する。情動調律と同じで、率直に痛みや悲しみに目を向けることが重要です。 もう一つは子どもに言い返さないこと。人は誰でも不完全ですし、そのとき自分なりにできることをやってきたはずなので、「あのとき嫌だった」と言われたらショックですし、色々と思うことはあるでしょう。とはいえ、結果的には子どもを傷つけることをしてしまった自分の「弱さ」と向き合うことは必要です。 ――未だに世間には「親を悪く言うなんて」という空気感がある中で、ただ近くにいる友人に愚痴をこぼすと、下手したら「私は悪くない」という感情が強化されてしまう可能性もあると思います。 DV加害者でも同じ問題があって、DV加害者の友達も、DV加害者であったり、モラハラ思考を持っているということは、よく聞く話です。自分の加害に気づけていない段階では、友人の言っていることの是非を判断するのもかなり難しい。 でもDV加害と同じで、変わりたいと思っている人たちが学び分かち合っていく場があれば、変わってくると思います。だからこそPaToCaをつくりました。子どもから「毒親」と言われたときに支えとなるようなサポートが世の中にはないに等しい。自分を受け止めてくれる人がいるからこそ、心に余裕ができ、子どもからの言葉も受け取ることができて、ケアに向き合って謝罪もできるようになるんです。必要な人にPaToCaの情報が届くよう「毒親 言われた」「毒親 変わりたい」といった検索ワードで、ヒットするようにしていきたいですね。 ――私自身も親に告げたことがあるのですが、関係が終了に向かう言葉のいくつかを言われましたし、表面的に謝罪しているとも感じました。とはいえ、「愛のつもりの支配的な言動」に悪気はなかったとも思うので、「あなたは毒親だ」と言われたとき、最初から望ましい反応をするのも難しいだろうと思うんです。 親からしたら青天の霹靂だと思います。最初から適切に反応できないこともあるでしょう。ただ、それからちゃんと調べて向き合って、もう一度きちんと謝るかを決めるのは、親側の問題ですね。 【プロフィール】 中川瑛(なかがわ・えい) モラハラ・DV加害者変容に取り組む当事者団体「GADHA」代表。妻との関係の危機から自身の加害性に気づき、ケアを学び変わることで、幸せな関係を築き直した経験から団体を立ち上げる。現在は加害者個人だけではなく、加害的な社会の変容にも取り組んでいる。既刊に『孤独になることば、人と生きることば』(扶桑社)、『ハラスメントがおきない職場のつくり方~ケアリング・ワークプレイス入門』(大和書房)など。 ■X(旧Twitter):@EiNaka_GADHA ■GADHAホームページhttps://www.gadha.jp/ ■PaToCa(パトカ)ホームページ:毒親の当事者コミュニティhttps://www.patoca.jp/ ■CoNeCa(コネカ)ホームページ:職場の加害者の当事者コミュニティhttps://www.coneca.jp/ インタビュー・文/雪代すみれ
雪代すみれ