「オリジナルターバンは150個」個人マネージャー・山本由美子が明かした桂由美の生き方「口癖は『私はまだやることがある』」
── おかっぱだと随分印象が変わりそうですね。 山本さん:ヘアスタイルについては、亡くなったご主人のアドバイスがきっかけだったと聞いています。11歳年上のご主人が黒柳徹子さんのファンで、「黒柳さんのように、自分らしいスタイルを作ってはどうか」といったアドバイスをしてくれたとよく話していました。先生はとにかく旦那さんをすごく愛していらしたので、その言葉をずっと大切にされていたのでしょうね。 そもそもターバンを被り始めたのは、お母さまが急死されたことが発端でした。髪をセットする時間がなく、遺品の帽子をかぶったものの、まったく自分の頭にフィットしなかったらしいんですね。その後、当時の昭和天皇や皇后の帽子のデザインをされていた帽子デザイナーの平田暁夫さんに相談し、桂さんが直接ターバンの絵を描いて平田さんに見せたところ、「いいね。あなたは顔の幅が広いから、両サイドにパッドを入れて膨らませましょう」ということになって、オリジナルのターバンが生まれたのだと聞きました。
■80代からひと足先にiPhoneを使い始め ── 生涯アグレッシブに仕事と向き合い続けてこられました。桂さんは、「まだまだやりたいことがある」とおっしゃっていたとか。 山本さん:最後まで力を入れて取り組んでいた活動が、「アニバーサリーウエディング」の普及でした。たとえば、結婚40周年なら“ルビー婚”、50年目は“金婚式”、結婚60周年を“ダイヤモンド婚”と呼んだりしますが、結婚した後も、こうした記念日に改めて式典を設けたり、ドレスをきてお祝いをしましょうというものです。
これまでの日々に感謝をするとともに、大切なパートナーとの絆を深め合う。そんな新しい記念日を祝う習慣を日本中に普及させるのが自分の課題だとずっと言っていました。先生は、「私、まだやることがあるのよ」が口癖。未来しか見ていない人でしたね。 ── 90代になってもなお「未来しか見ていない」とは、すごいエネルギーですね。 山本さん:お仕事だけでなく、自分自身に対してもそうでしたね。実は80代のとき、股関節を悪くして、手術をしたんです。普通、その年齢で足の手術をしたら、“もう歩けないんじゃないか”と弱気になったり、“車椅子でも仕方ない”と諦める人も多いと思うんです。でも、先生はリハビリを頑張って、ゆっくりと歩けるまでに回復して。