ミャンマー「徴兵宣言」から半年、苦渋の選択を迫られる日本語学習者たち
西暦1月1日は祝日か否か。十数年前まで、ミャンマーは1月1日を平日としていた。ミャンマー人にその理由を尋ねると「(旧宗主国の)イギリスに合わせたくないでしょう?」と気にも留めていないように言う。国を閉ざしていたミャンマーにとって、西暦の祝日などに生活を合わせずともなんら不自由がなかったのは事実だ。 2015年にアウンサンスーチー率いる国民民主連盟(NLD)が政権を握り、国際性重視が始まったころから1月1日は祝日に指定された。日本をはじめ各国の企業誘致を進めていた当時、1月1日は祝日である必要が明らかにあった。しかし今、再び1月1日は平日になっている。人々は「軍は民主派(NLD)の決めたことを、ことごとくなかったことにしたいんですよ」という。 ミャンマー人は祝日がころころ変わることなど日常茶飯事と笑い飛ばす。実際、徴兵制度という人の一生を左右するほどの重大事でさえ、猫の目のように内容変更が繰り返されている。 ▽2024年2月10日に徴兵制の実施を発表。 ▽2月20日に女性の徴兵対象外とする⇒現在は徴兵の対象としている。 ▽特定技能・育成就労など就労目的の出国禁止令を発令⇒撤回⇒現在は男性にのみ就労目的の出国を禁止。 ▽徴兵制は4月下旬からと発表⇒3月末に開始。 現在もいつ実施内容が変更されるかわからない状況だ。国軍メディアと独立系メディアの報道が入り混じり、さらにSNSの無責任情報や町中での噂話が混在している。その中に、それらの情報に振り回される個人の現実が存在する。
「もう日本には行けない」――授業も希望も捨てた生徒
あるヤンゴンの日本語学校の教師が「まるで防空壕の中で震える人を見ているかと思った。戦争経験などないのに」と話してくれたことがある。2月10日、軍が徴兵制の実施を発表した日の話だ。日本語教師は前日となんら変わらない朝を迎え、いつものように授業に向かったところ、教室の教え子たちがみな土気色をした顔で表情がないことに驚いたという。昨日と何が違うのか? 重い空気だけが教室に淀んでいる。みな平静を装い受講しているものの、休憩時間にはひそひそ話が始まる。 異様な様子に驚いている日本語教師にスタッフが、徴兵制の発表があったのだと説明した。日付が変わった頃からSNSで情報が出回っており、そのスタッフも昨晩は一睡もできなかったという。一方、日本人である教師は、徴兵制がもたらす現実の重みをすぐには理解できなかった。 徴兵の対象は男性18歳~35歳、女性18歳~27歳。学生、公務員は猶予するという発表だった。ミャンマー報道の難しさに定義の曖昧さがある。年齢を出生時で1歳とする場合(数え年)と出生後1年目に1歳とする場合(満年齢)があり、場合によってどちらを使用するかもまちまちであるため、発表された年齢を正確に把握することができない。 ミャンマーの徴兵制は2010年に導入されていたが未実施のままであった。民主派や少数民族武装勢力と軍の攻防が激化し、軍が劣勢になり始めたという情報が飛びかう中での実施発表だった。しかし、発表と同時に疑問の声があがった。 投降・脱走などによる兵士不足を補うための徴兵制ということだが、「軍事政権」と「民主派」がもめている状況下、後者の側に立って軍に抵抗する傾向が強い一般の若者たちを徴兵して、軍人にできると考えているのか? 「だから、軍はバカなんですよ」と嬉しそうに耳打ちする人もいる。大声では言えないが言わずにはいられないのだろう。しかし、軍を批判したところで若者が徴兵制に震えていることは事実なのだ。当時の若者たちの声を拾い上げる。 「軍は“人間の盾”として若者を徴兵しているんです。民主派側の学生などを盾にすれば抵抗勢力も攻撃の手が緩みますから」 「結束し始めた少数民族も、この徴兵制度で結束が乱れる可能性がありますよ。民族によって徴兵の順番を変えることもできるのですから。仲たがいの道具にできる」 「結局、嫌がらせでしかないんです。だって、召集令状が来たところで出頭する者などいない。出頭しなかった者を無理やり連れ去る理由を作ったに過ぎない」 それぞれの意見・分析がどうであろうと、現政権(軍)の決めたことに抗うことはできない。国民がいうところの「めちゃくちゃ」な内容変更も続く。 ミャンマーの海外人材派遣協会(MOEAF)は2月13日、海外就労に対する求人の情報更新を停止すると発表。在ミャンマーの日本の送り出し機関には労働局から、徴兵条件に当てはまる若者に対しての送り出し中止の通達が届いた。関係者の話によるとこの通達は電子メールなどで各送り出し機関に伝えられ、軍評議会労働省からの公的な正式発表はなかったという。 (※送り出し機関とは、海外就労を目指すミャンマー人の若者を、日本の労働力不足を補う特定技能実習生・育成就労生として日本へ送り出す団体) ※こちらの関連記事もお読みください ボランティア不足の能登被災地、ミャンマー人が「日本に恩返し」 それでも、就労目的のミャンマー人が通う日本語学校が次々と休校(時には閉鎖)しているという話が広がった。事実がどうであれ、軍の思惑に従うポーズは必須と考えるのは事業者として当たり前だろう。 逆に、できるだけ早く教え子たちを日本に脱出させる必要を唱える人々もいた。ある日本語学校のミャンマー人校長は「軍の決めたことはすぐに変わる。私の学校は休校にしませんでした。就労目的の授業は普通に行っていますよ。でもね、徴兵制の発表直後に“もう日本に行けない”と落胆しきった一人の生徒は、授業を放棄して、つまり今までの努力も希望も放り出して田舎に帰ってしまいました。止めるわけにはいきません。私は田舎までの道のりのほうが危険だとは思いましたが……」 徴兵制の実施が発表された2月はこのような混乱が続いていた。