こんなはずでは…。2億円で〈同業買収〉を決めた金属加工メーカー、売り手企業の「まあ大丈夫だと思いますよ」を鵜呑みにした結果
「情報の非対称性」が課題となったM&Aの事例
金属加工業C社(年商非公開、譲受側)は、同業D社(年商5億円、譲渡側)を100パーセント株式譲渡で譲り受けた。C社はD社の株式を譲り受ける際に分割での支払いを提案し、D社株主はこの提案を受け入れた。そこでC社は株式譲渡にかかる対価2億円のうち、半額の1億円をクロージング日(株式譲渡や対価決済などの取引実行日)に支払い、残金を半年後に支払う予定とした。 株式の譲渡対価は通常、クロージング日に一括で支払われることが多いが、譲渡側の会社の内情が把握できていないなどの理由で担保として、譲渡側の同意をもって行われる分割支払いにするケースがある。譲渡側にとっては、一括で対価を得られないので不利ではあるが、双方が同意すれば可能である。C社はD社株主の気が変わらないうちに早くクロージングを行いたいと考え、一方のD社株主も早くクロージングを行って株式の引き継ぎ先を決めたいという思いがあったため、分割での支払い契約を含む内容でSPA(株式譲渡契約書/ストック・パーチェス・アグリーメント)の締結を進めた。 ここまでは、分割払いを除いて一般的な事業承継M&Aの流れと同様であった。問題は、C社の半年後の残金支払いのタイミングで起こった。D社は当初想定した売上高を上げることができず、その状況でD社株主に対して残金1億円を支払うタイミングが到来したのだ。なぜ、このような状況に陥ったのであろうか。 原因の一つは、単純にD社の業績悪化だった。実は、D社は人材不足もあって主要得意先からの受注をすべてさばき切れておらず、また施工中の現場においても質の高いサービスを提供できていなかったため、各方面でクレームが発生していた。特に、得意先のクレームは会社の評判(レピュテーション)を低下させる。その結果、D社への引き合いが目に見えて減り始めた。しかし、クレームの影響がD社の業績に表れ出したのは、M&Aの交渉が完了した数ヵ月後だった。C社が交渉時に確認していたD社の試算表はクレーム発生前の業績であったため、当然ながら交渉後のD社の業績悪化は知るよしもなかった。 本来、譲受側はSPAの締結前に行うDDを通じて譲渡側を調査し、実態を把握する必要がある。C社もDDは資料のチェックとヒアリング・現場視察を中心に実施した。ただし、将来の業績予測を精査するには、提示資料が少なかった。そのため、現状認識で捉え切れない部分が生じた要因となってしまった。最終的には、ヒアリングのなかで、D社株主から注文をさばき切れていない点について若干の言及はあったが、「引き合いは順調にありますし、まあ大丈夫でしょう」というD社の言葉があったことも影響している。 もともとM&Aでは、譲受側と譲渡側との間に情報格差が存在する。譲受側が、譲渡側に対して数ヵ月先の受注状況の見通しを質問しても、譲渡側は自己の不利になりそうな情報はなるべく良く見せたいと考えるのが一般的な心理である。したがって、譲受側は情報の受け取り方に齟齬がないよう、質問だけではなく契約書の内容も確認し、譲渡側の出す情報の「確かさ」を高めていく必要がある。どこまで現状を詳細に伝えるかはD社にかかっており、また、それをどのように解釈するかはC社にかかっている。本件は、このDDを実施する際に、先行きの受注状況や得意先との関係に対する定量・定性的な情報が不足していた。そのことが、半年後に業績不振という形となって表面化したといえる。 もう一つの原因は、PMI(統合作業/ポスト・マージャー・インテグレーション)の時点でD社のマイナスの部分が出始めており、C社が対策を講じるための時間が短かったことである。SPA締結後は、譲受側と譲渡側が一致協力して企業を成長させていくPMI(図表3)のフェーズに入ることが一般的である。 PMIとは、M&Aの合意が成立した後の統合プロセスの作業(経営方針・業務ルールの統一や従業員意識の融合など)をいう。M&Aは譲受側と譲渡側が合意に至るまでのプロセスで最も苦労すると思われがちだが、実は合意成立後のPMIのほうが厄介な作業なのである。M&Aを積極的に行うことで知られるニデック(旧・日本電産)の永守重信会長兼CEО(最高経営責任者、当時)も、「登山に例えれば、M&Aは契約の時点で二合目しか登っていない。残りの八合分は企業文化の違いを擦り合わせる『PMI』という手間のかかる作業で、これがまた難しい」(2012年8月10日付『日本経済新聞』)と述べている。 PMIのフェーズは、一方が他方にお任せの状態ではうまくいかないことがほとんどである。本件では、C社がD社の経営を引き継いだ時点で、得意先との関係性の修復、成約の見込みが高い受注案件の絞り込みなど、事業の運営面でのサポートが急務であった。集中的なテコ入れをする時間が限られていたことが、軌道修正を難しくした一因といえる。 譲受側と譲渡側の情報の非対称性を考えると、譲渡側の開示情報が現状を正しく捉えた情報であるかどうか(譲渡側に有利な表現・ニュアンスになっていないか)を譲受側が慎重に確認しなければ、M&Aでは当初想定した結果を得られないということである。どちらに責任があるか、という話ではなく、双方が協力し合わないと思った方向には進まないのがM&Aだということを強く感じさせるケースであった。本件は、結果として譲受側に求められる負担が大きかった事例といえる。なお、最終的に本件は、C社が残金の支払いをさらに延期することで双方が合意した。