【中学受験】「メンタルが弱い娘を傷つけたくなくて守りすぎた」完璧主義の母がリードした受験。ただ一つ悔いることとは?
過去の自分に言葉をかけるとしたら、どんな言葉をかけますか?
■張り切りすぎた私にかけたい言葉 おおた 過去のいつかの時点にタイムマシンで戻って過去の自分に言葉をかけられるとしたら、いつのタイミングの自分にどんな言葉をかけますか? 川西 6年生の12月くらいに戻って「あなた自身が肩の力を抜いて、リラックスしなさい」って声をかけます。私が完璧主義すぎてきっちりいろんなことに取り組みすぎたその緊張感が娘に伝わりすぎた。 おおた お母さんも緊張してたんですか? 川西 私は緊張することが好きだから24時間緊張してるんです。「完璧にやるわよ!」って。健康管理のために部屋の湿度を加湿器で何パーセントに管理して、ヤクルトとR1を交互に飲む、みたいな。自分はそういうのが心地いいから、できちゃうんですよ、苦じゃなく。模試のたびにおやつの練習として、今日はどら焼きを入れてみた、今日はキットカットを入れてみた、「以上の結果から本番はこれにします」みたいな。そういうことをやるのが好きでたまらないんですね、私は。だから、張り切りすぎた。緊張じゃないですね。張り切りすぎた。私が。 おおた なるほど、なるほど。 川西 親が張り切ることでうれしがる子どももいると思うし、いっしょに張り切る子どももいると思うんだけど、うちの子どもはゆったりさんだから、もっと私がリラックスして、「どうでもいいじゃん!」みたいなノリにしていたら、同じ結果だったとしてももうちょっと楽だったんじゃないかな、と思うかな。 おおた なるほど。 川西 無駄な時間ができないように予定を詰め込んで、それでもすき間時間ができたらそこにも計画的に体を休めるために整体の予約を入れましょう、みたいな感じですごい完璧だったんですよ。 おおた Everything under controlみたいな状況が心地いいんですね。 川西 そう! お友だちのママなんて普通は「私なんて毎日行き当たりばったりよ」みたいな感じじゃないですか。でも私はそういうのが嫌いだし、後悔するのも嫌いだし、私はもうすごい頑張り屋さんなんですよね。しかもその頑張りがなんか楽しいんですよ。たとえば入試本番の一年前の百均で桜グッズを買い占めて、一月くらいから紙皿もぜんぶ桜にしてみたりとか。 おおた やってることがめっちゃかわいいじゃないですか。 川西 なんかもう本当に、できることはぜんぶやってたんですよ。桜のグッズって年間で2~3月にしか売ってないから、一年前に買っておいて、入試当日も桜のアルミホイルでおにぎりを包みました。 おおた 私だったらそんなこと思いつきもしない。 川西 そうでしょ! だから、こんなにできる私に酔ってた。 おおた それも名言ですね。それをいまからっと言えるのもかっこいいし。 川西 マネージャーとして優秀な私に酔っていた。とはいえ、どうしたらよかったかってのはわかんないんですけどね。だからって、行き当たりばったりでいいとは思わないし。 おおた うん、うん。そうですね。 ■「なるようになるさ」と思う努力をしてもよかった 川西 ただ、私の優秀さと娘の優秀さは違うわけで。 おおた うん、うん。 川西 「なるようになるさ」って私は思えない性格だから思わないと思うんだけど、そう思う努力をしてもよかったかなみたいな。 おおた お母さん自身はこれからもそうやって生きていけばいいけれど、ゆったりさんの娘さんの立場で考えてみると、ああいう場面では、自分自身が多少演技をしてでも、「なるようになるさ」っていうふりをする努力をしてもよかったと。 川西 かもしれない。 おおた それは面白い視点ですね。最後にその視点が出てくるとは思いませんでした。これ、めちゃめちゃ深いですよ。 川西 難しいですよね。性格の違う母と子が手を組んだから。私は過去問も自分でぜんぶ解いたから勉強をぜんぶ教えられて、家庭教師を雇わなかったけれど、家庭教師の役割は勉強を教えるだけではありませんよね。 おおた たしかに。 川西 そういう意味で、私が勉強を見れちゃったこともよくなかったのかも、とか。私が勉強を見られなかったら、早い段階で家庭教師をつけて、その家庭教師が彼女のスタイルに合わせて勉強以外のこととかもやってくれたのではないかとか。 おおた めちゃめちゃ冷静に分析されてますね。でも最後まで勉強を教えられちゃったんですか。すごいですね。 川西 私自身がすごく楽しくて。もう面白すぎちゃって、むしろ趣味で解いてました。 おおた 家の中に勉強を教えられるひとがいるっていうのは一般的にいったら強力なリソースなわけじゃないですか。でもそれがあったことによって、別のものを導入する機会がなかったというのは、これももちろん「たられば」ですけれど、さっきの張り切りすぎたというのも、たぶんその張り切りによって娘さんが得た恩恵は失ったものの何倍も大きいはずで、「もうちょっとこうしていれば……」というのは考えればいくらでも出てくるかもしれないけど、プラスマイナスでいったら、明らかにプラスのほうが大きいでしょうから。てか、それこそ完璧なんてありえないから。 川西 ありがとうございます。 おおた 娘さんはね、こういうお母さんでラッキーだったと思います。 川西 まぁね。こういう家に生まれたんだからね。 おおた 今回の経験でお母さんは、そういう自分の強みの中に隠れている弱点みたいなものに気づかれたっていうのが最後のお話だったと思うし。娘さんもね、こういうお母さんとの組み合わせの中でぐいぐい引っ張ってもらって、たぶん精一杯力を伸ばすことができて、でも100%望み通りの結果でないなかでの学びもあって。その結果行くことになった学校が自分にはすごくよかったっていう展開ですよね。さきほど、傷つけることを怖れて守りすぎたというお話もありました。中学受験の結果によっていったんは傷ついているわけですけれども、でもそれをね、親もいっしょにいてあげられるからこそ乗り越えて糧にしていく経験ができるというのが、中学受験の魅力だと思うんですよ。 川西 中学受験をして嫌だったと思うことは私には一ミリもないし、娘も受験してよかったって言ってるし。下の子にも「終わるから」って言ってます。