世界の研究者が驚いた観察眼「サルしかいない動物園」の高崎山が70年続く秘密 名物ボス、観光名所…でも本当に凄いのは職員
その後、餌の量を増やしたことでサルが増え続け、開園当初の約200匹から、1979年度には2千匹を突破。一方で増えすぎたために周辺の農業被害も拡大した。このため餌を徐々に減らし、2022年度は977匹まで減少している。 ところが、入園者も1990年代からは減少傾向が顕著になった。2000年代以降は横ばいが続いたが、2021年度は年間約15万人にまで落ち込んだ。経営が悪化し、新人採用は停滞。その結果、長年培った技術や知識が途絶える恐れが生じた。 危機感を抱いた大分市は2022年4月、外郭団体による運営から市の直営に切り替え、財務体質や人員の増強を図った。手始めに30歳前後の新入職員を採用。40~50代というベテラン中心の組織を、少しずつ若返らせる狙いだ。 ▽有名なボスザル「ベンツ」の生涯 高崎山自然動物園の魅力は、人間社会にも似た複雑な組織構造の一端が、ガイドたちの説明で垣間見えるところだ。
70年の間には、テレビなどを通じて有名になった「名物ボス」がいる。三つの群れ(A、B、C)のトップとしてそれぞれ君臨するボスザルは歴代いるが、名物ボスたちはひと味違う。 群れ同士の争いに勝ち残る腕っ節の強さが必要なだけでなく、風格があったり、温厚だったりとそれぞれが強烈な個性を持ち、人々に強い印象を与えた。園のガイドらが今なお語り継いでいるボスもいる。 園がオープンしたての1953年春にA群を率いていたのが「ジュピター」だった。約8年にわたって権力を握る一方、子ザルの世話を焼くなど温厚な一面があったという。 1991~97年ごろにB群トップを務めた「ドラゴン」は、近くを走る電車にはねられ、右腕を失いながらも「片腕のボス」として仲間を守り続けた。「勇敢で、統率力に優れ、風格があった」と藤田さんは懐かしむ。 名物ボスの中でも、歴代最年少でB群ボスの座に就いた「ベンツ」の生涯は興味深い。