「考えていたより簡単ではなかった…」一度は断たれた“五輪への道” それでも諦めなかった尾崎野乃香をパリに導いたものとは(小林信也)
尾崎野乃香は成城学園中を卒業する時、JOCエリートアカデミー入りを勧められた。全国中学選手権をはじめ数々の大会で優勝を重ね、7年後のパリ五輪を担う逸材と認められたのだ。尾崎は大学まで一貫で進める環境を捨て、レスリング優先の3年間を過ごした。期待どおり世界カデット選手権(16-17歳)優勝、ユース五輪優勝。高3時には全日本選手権62キロ級で初優勝。パリ五輪が明確に視野に入った。が、高校を出る時、今度は競技優先の強豪校を選ばなかった。 【写真をみる】「全然印象違う!」 華やかな“ワンピース”姿がかわい過ぎる尾崎野乃香選手
「レスリングをやり終えたその先のキャリアも考えて」 尾崎は慶應義塾大の環境情報学部に合格。慶應のレスリング部は古い伝統を誇るが近年は強豪とはいえない水準だ。尾崎の練習相手になる男子選手もあまりいない。そのため常に出稽古。他の大学や高校に練習相手を求めて回る生活を最初から覚悟していた。 「結果さえ出せば代表に選ばれる競技です。だから大丈夫だと思っていました」 日吉キャンパスの北側、蝮谷と呼ばれる谷の一隅にあるレスリング場で尾崎は話してくれた。湘南藤沢キャンパスで学び、放課後は毎日違う練習場で汗を流す。他の選手にはない自由自在の日々に自負を感じていた。 1年生で全日本選手権の62キロ級優勝。2年夏(2022年)全日本選抜で東京五輪金メダルの川井友香子を破り2連覇。9月の世界選手権では頂点に立った。自ら選んだ文武両道の選択は順調に見えた。ところが12月、全日本選手権決勝で元木咲良(育英大)に負けた。翌23年6月の全日本選抜では準々決勝で敗れ、パリ五輪への道が事実上断たれた。 「考えていたより簡単ではありませんでした。強い大学に居れば練習環境、指導者、食事、すべてそろっている。私は毎日自分で練習場を探し、相手の監督さんに電話でお願いし、食事も自分で作ります」 意地とプライド、悔しさの混じった強いまなざしで、尾崎はつぶやいた。 「言葉で言うほど生易しいものではありません」 五輪を目指す立場で専属コーチがいない、いわばフリーランスのレスリング選手。練習後、一人暮らしの部屋で自炊する。週末だけ母の手料理で息をつける。