「考えていたより簡単ではなかった…」一度は断たれた“五輪への道” それでも諦めなかった尾崎野乃香をパリに導いたものとは(小林信也)
毎週山梨へ
失意の尾崎は、昨年夏、韮崎工(山梨)の練習に参加した。文田敏郎監督は、東京五輪銀メダリスト文田健一郎の父。文田が言う。 「強かった、野乃香の攻撃力は魅力的でした。でも防御がぎこちない。守りに入ると、高校生(男子)にも簡単にタックルを許す場面があった。ひたすら攻めて勝ってきたので、守る経験が少ないんだと思って私は守る技術を指導しました」 一度だけの参加だと思った尾崎が帰り際に言った。 「明日も来ていいですか」 それが尾崎の覚醒の瞬間だったかもしれない。 「あそこまで相手の攻撃を切りきるディフェンスを繰り返し教えてもらうのは初めてでした」(尾崎) 「それから毎週、土日に通って来ました。それで私も真剣にやらなきゃと」(文田) 脚を取られた時ただ逃げるのでなく、切って相手のバックに回りポイントを取る、そこまでの技術が大切だと繰り返し教えられた。
「タックルは無限」
尾崎は9月、非五輪階級の65キロ級で世界選手権に出場。前年の62キロ級に続いて世界王者に輝いた。直後、思わぬ出来事が起きた。68キロ級の石井亜海(育英大)が3位決定戦で敗れ、パリの代表を確定できなかった。それを目の前で見た尾崎は、すぐ68キロ級挑戦を決めた。 12月の全日本で見事優勝した尾崎は、今年1月27日、パリ五輪出場をかけ、石井とのプレーオフに臨んだ。 終盤まで3対1とリードしていた尾崎が、ラスト30秒を切って石井のタックルを許し、バックを取られて逆転された。3対4。残り9秒89からの再開。尾崎は即座にタックルにいき、石井の左脚を捉えるとすぐ相手を崩し、バックを奪って2点を入れ大逆転。パリ五輪の切符をつかんだ。執念とも根性とも感じる土壇場の集中力。そんな見方に物足りなげな表情を浮かべ、尾崎が技術を語ってくれた。 「片脚タックルといっても、一つではありません。無限にあるんです。間合いとか技術、最近はそれが面白いなと思っています。プレーオフの時も私は通常と反対の脚にいっているのです」 第2セコンドについていた文田が感嘆しながら言う。 「残り10秒、あの瞬間にあれができる野乃香にほれぼれしました。左構えの野乃香に対して石井さんは右構えだから普通は右脚にいくのです。ところが野乃香は遠い方の左脚に飛び込んだ。相手は不意を突かれたのだと思います」 警戒しながらタックルを防げなかった裏には尾崎のひらめきと技があったのだ。 68キロ級で初めての国際大会となった4月のアジア選手権で優勝した。 「パワーや体力は問題ありませんでした。パリでは優勝候補のトルコ、アメリカの選手と初めて対戦します。お互い初めてなら、相手の方がきっとやりにくい」 尾崎には傑出したスピードがある。68キロ級の選手には経験のない速さとひらめきが武器になる。 小林信也(こばやしのぶや) スポーツライター。1956年新潟県長岡市生まれ。高校まで野球部で投手。慶應大学法学部卒。大学ではフリスビーに熱中し、日本代表として世界選手権出場。ディスクゴルフ日本選手権優勝。「ナンバー」編集部等を経て独立。『高校野球が危ない!』『長嶋茂雄 永遠伝説』など著書多数。 「週刊新潮」2024年6月13日号 掲載
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