『源氏物語』を書いたのは孤独を紛らわすため? 紫式部が執筆を始めた動機
宮仕え前にすでに書き出されていたか
史実として、紫式部はいつ、何を動機として物語を書きはじめたのだろうか。 このことを信頼できる史料から明確にすることは困難で、諸説が乱立している状況である。ここでは一例として、昭和戦後の代表的な『源氏物語』研究者であった今井源衛の所説を紹介しておこう(『紫式部』)。 今井によれば、彼女が『源氏物語』を起筆したのは長保3年(1001)に夫の藤原宣孝が死去して以降のことで、心理的動機は「将来に希望のない未亡人の日々のつれづれを紛らす」ためであった。孤独を紛らわすためだった、と言い換えてもいいだろう。式部の生年を天禄元年(970)とする今井の推定にもとづけば、このとき式部は32歳である。 物語は書き進めてゆくうちに、式部の友人たちの間で読まれて評判にのぼるようになり、やがて藤原道長の耳にも入る。すると式部は宮廷に召し出され、一条天皇のもとに入内して中宮となっていた道長の娘の彰子に仕えることになった。寛弘2年(1005)末頃のことだ。当時の道長は、彰子の教育係として、教養ある婦人を探していたところだった。 今井によれば、式部は宮仕え後も、宮廷の人びとをも読者としながら物語を書きつづけていったという。これはそれなりに説得力のある見方であり、オーソドックスな見方であるとも言えよう。宮仕え後の式部は、「この物語の続きをもっと読みたい」という中宮の求めに応じるようにして、書き継いでいったのかもしれない。
古川順弘(文筆家)