ノーベル文学賞を受賞したハン・ガンの作品を読むなら、どの一冊から?
「韓国語の翻訳の難しさ」という壁
ハンの作品を読みはじめたばかりの人たちに彼女自身が推薦するのは、反共パラノイアの時代だった1948年、韓国政府が済州島でおこなった民間人虐殺事件を扱った小説『別れを告げない』だ。2023年にフランスのメディシス賞を受賞したこの小説の英訳版は、2025年1月に出版を予定されている。 しかし、ハンの作品の中で最も有名な──そしてある意味で悪名高い──のは、肉食を断つと誓った女性が正気を失っていく『菜食主義者』という暗くシュールな物語だろう。家父長制的な韓国社会に対する女性の抵抗を描く作品として評価されたこの小説は、2016年のマン・ブッカー国際賞を受賞した。その栄誉は、ハン、そして同作の英国人翻訳者であるデボラ・スミスとでわかちあわれた。 ところがこの賞により、『菜食主義者』は文学翻訳に関する熾烈な議論の渦中に置かれることとなる。 批評家たちは、同作を翻訳する数年前に韓国語の勉強を始めたばかりだったスミスによる英訳は、「足」を「腕」と混同するなど基本的なミスを犯しているだけでなく、翻訳の許容範囲をはるかに超えて文章を改変していると指摘した。 「韓国文学の翻訳は長いあいだ、多くの障害に悩まされてきました。より『純粋』に翻訳された作品は、成功を収めることができていないのです」と、前出の文芸評論家であるチョンは言う。 韓国の映画界やテレビ界が『パラサイト』や『イカゲーム』のような世界的ヒット作を生み出すかたわら、なぜ韓国の書籍が同じレベルで世界的な関心を集めることができないのか──この疑問は長いあいだ、韓国の文学シーンを悩ませてきた。 「結果として、外国人読者の嗜好に合わせることを優先し、原文の難しさを見過ごす傾向が翻訳界で強まっています」とチョンは指摘する。「『菜食主義者』はその最たる例です」 2016年に英紙「タイムズ」に寄稿した韓国系米国人の文芸翻訳家、チャース・ユンは、スミスの「絶妙な」文章を認めてはいる。だが彼女の翻訳は「『新しい創造物』へと変容している」とし、次のように述べた。 「適切な例を出すことは難しい。だがたとえば、レイモンド・カーヴァーのプレーンで現代的な文体に、チャールズ・ディケンズのような精巧な言い回しが添えられたものを想像してほしい」 2018年に「ロサンゼルス・レビュー・オブ・ブックス」誌に寄せたエッセイで自らの翻訳を弁護したスミスは、ハンの本をさらに2冊翻訳している。彼女は、2つの言語の違いを考えれば「『創造的』でない翻訳などありえない」と主張した。 多くの批評家にとって、翻訳の問題はまだ未解決のままだ。だが良くも悪くも、ハンが得た最新の、そして最も権威ある栄誉はいまや、韓国文学における世界的な成功の道筋を確固たるものにした。 前出のユンはスミスの翻訳に疑問を持っていたが、彼はいま、翻訳の未来に楽観的になれる理由はたくさんあると考えている。 「道は大きく開かれ、より多くの人々が韓国文学にアクセスできるようになりました」と、ハンの世界的な台頭を受けてユンは語った。 「私の元教え子たち、あるいはその他の才能ある翻訳者たちが、文学の世界に韓国人の声を届ける機会を得たことを、私はただ嬉しく思っています」
Max Kim