石牟礼道子旧宅に古書店、「よそ者」夫婦がつなぐ希望…水俣病巡る複雑な空気「重さ少し引き受けている」
ファンを公言していたことで、カライモブックスには、全国から石牟礼文学や水俣に思いを寄せる人々が訪れ、京都では語られることの少ない「水俣」を伝える場にもなった。22年に、旧宅の保存について関係者らが話し合う場に居合わせ、店の移転の話が持ち上がった。
「後ろめたさと水俣の間に立っている」
水俣病は、患者認定や補償を巡って、多くの分断を生んだ。水俣病を真正面から伝える活動や運動を敬遠する市民も多い。『苦海浄土』のイメージが強い石牟礼文学への評価も同様だ。
そんな水俣の地に移ったカライモブックスは、文学を入り口に多様な層を引きつけている。映画や写真集を特集して社会問題を学ぶイベントに他県から訪れ、水俣病の本や石牟礼文学に接する機会を得た人がいる一方、水俣病の活動と距離を置く地元住民も古書店として利用し、交流の場になっている。
水俣病を伝える「水俣病センター相思社」の永野三智さん(40)は、移転を「水俣ではタブー視されている『水俣病』や『石牟礼道子』に、これまでとは別の角度から触れられる“余白”を生み出してくれた」と評価する。順平さんは「水俣病を見ないように生きている市民の複雑な空気を感じ、京都にいた時より、その重さを少し引き受けている。『よそ者』であるからこそ僕らの店に意味があるのではないか」と語る。
奥田さん夫婦は、フリーペーパー「唐芋通信」を発行する表現者でもある。唐芋通信などの随想をまとめた『さみしさは彼方 カライモブックスを生きる』(岩波書店)で〈言葉はつなげることができる。カライモブックスは後ろめたさと水俣の間に立っている〉とつづる。
2人はこの地に立つ意味を考え続ける。自分たちが石牟礼文学に支えられてきたように、分断された社会の中で文学や言葉を取り扱う古書店として、何ができるか。その思いに希望を感じた。