【昔の地図】静岡銀行の約100年前の名前は「三十五銀行」だった 地図を片手に歩いたら
昔の地図は意外な歴史を語り出す。今回は約100年前の静岡市中心部の地図を片手に、現地を歩いてみる企画の第二弾です。みなさん100年前の地図にはどうして静岡銀行が「三十五銀行」と書かれているか、わかりますか? 【画像】1927年の地図に「三十五銀行」の文字 ギャラリーページへ(全25枚)
◆静岡銀行の昔の名前は?
今回も1927年(昭和2年)の地図を片手に現地を歩き、歴史を学んでいきます! 案内してくれるのは、静岡市文化財課の森山郁真さんです。 御幸通り(みゆきどおり)を左折して、本通(ほんとおり)にやって来ました。ここで歴史を感じさせる大きな建物と言えば、静岡銀行です。石造りで古代ギリシャの神殿を思わせる円柱が圧巻です。 1931年に中村與資平の設計で建てられた静岡銀行。県庁の本館や静岡市役所も中村與資平の設計です。静岡市の街並みに、とても影響を与えている人ですね。 さて、1927年の地図でもこの場所は銀行でした。しかし「静岡銀行」ではなく、「三十五銀行」と書かれていました。現在の建物にも「旧静岡三十五銀行本店」と書かれています。 約100年前、この場所には静岡銀行の元となる「三十五銀行」という銀行があったのです。では、三十五というのは何の数字でしょうか。 静岡市文化財課の森山郁真さん: 国立銀行条例に基づいて、全国に民間銀行が立ち上がりますが、その中で35番目にできた銀行だからです 正解は銀行ができた順番でした。今でも東北には七十七銀行が明治時代の名前のまま営業を続けていますよ。
◆「札之辻」という名前は賑やかな証拠
さて、ここからは呉服町通りをJR静岡駅の方向に進んでいきます。昔の地図で呉服町通りを見てみると「呉服町」という名前のとおり、洋品店や呉服店が多いのがわかります。 また100年前から残る、「札之辻(ふだのつじ)」という地名。七間町通りと呉服町通りの交差点は、今でも「札之辻」と呼ばれています。同じような名前の場所が全国各地に残っているそうで、その由来はまさに「札」にあります。いったいどんな「札」がこの場所にあったのでしょうか。 森山さんに案内されて向かった先には、大きな木札「高札(こうさつ)」がありました。高札が掲げられる場所、高札場があったので「札之辻」と呼ばれたのです。高札には幕府や藩の定めた決まりごとが書かれていたそうです。 静岡市文化財課の森山郁真さん: 「みなさん仲良く暮らしましょう」とか、「盗みやばくちはいけない」とか、社会的な道徳が全国各地の高札場に掲げられていました。そうした場所には「札」がついた地名が残っています 高札場は人がたくさん集まり、目に留まる場所にありました。ですので「札之辻」は今も昔も変わらず賑わっていることが多いそうです。