AKB48に憧れていた少女がプロレスの道へ 山下実優が振り返る東京女子でのデビューと、人生初の「絶望」を感じた試合
――絶望を味わっても戦い続けなければいけない。その時はどんな気持ちでしたか? 山下:けっこう心のなかはグチャグチャでした。東京女子にほかの団体の選手が上がることはほとんどありません。そのリングにセンダイガールズのエースである里村さんが来た。私は東京女子を代表して戦っているから負けたるわけにはいかないし、ファンにみっともない姿を見せたくない。その強い気持ちがあったのに、里村さんにスリーパーホールドで締められ、私は一瞬意識が飛んでしまったんです。 なんとかロープブレイクはしましたが、お客さんも里村さんの空気に支配されていました。そこで「勝てないな」と......。試合はスリーパーホールドでレフェリーストップ負け。でも、結果以上に気持ちで負けたことがすごく悔しかった。 でも、その負けで「東京女子で"絶対的な強さ"の象徴になる」と腹をくくりました。それまでは「可愛くありたい」という気持ちもあったんです。私は器用なタイプではないので、いろんなことはできない。だからプロレスラーの強さ、ストロングスタイルを追求しようと思いました。 【海外では"東京女子のボス"?】 ――2024年も4月から6月中旬まで海外遠征をしていましたが、これまでも山下選手は世界を飛び回ってきたイメージがあります。 山下:飛び回ってますね。アメリカだけでなく、イギリスやスペインでも試合をしましたし、いろいろな国の選手と戦うことの楽しさを知りました。ただ、「東京女子を大きくしたい」という思いが強かったので、それを第一に考えて海外で試合をするようになりました。 目標にしていた東京女子単独での両国国技館大会が開催されたあと(2022年3月19日)、「次の目標はどうしようか?」となって。それで、海外でベルトに挑戦したり、もっと世界中のいろんな人と戦いたいと思うようになりました。 ――海外からのオファーなどのやり取りはどうしているんですか? 山下:全部自分で対応します。そのほうが勉強になるし、せっかくならいろいろ経験してみたいですから。 ――海外の反応はいかがですか? 山下:レッスルユニバース(プロレス動画配信サービス)が世界配信されているので、私のことを"東京女子のボス"と認識している人もいます(笑)。現地の人が「アップアップガールズ(プロレス)」の歌も日本語で一緒に歌いますからね。配信の影響は大きいです。