体操・宮田笙子の「五輪辞退」はどのくらい妥当だったのか 「当然」から「あまりに重い」に分かれた世論
恩師の死に、コーチの重篤な体調不良
その一方で、関係者によれば、体操選手は常にストレスと向き合っているという。だから許されるとは言わぬまでも、その苛酷さは理解してほしい、ということだ。 「特に女子の体操選手は、成長に伴って比較的脂肪がつきやすい面があるため、食事の量や中身まで制限されるような厳しい体重管理が求められます。また、競技の性質上、一瞬の判断ミスが選手生命を脅かす大ケガにつながるのも事実。さらにメダルへの期待などが加わって、精神的に追い込まれる選手は少なくありません。そのせいで他の種目と比べ女子選手の引退時期が早いともいわれています。そうしたストレス過多な環境のはけ口として、喫煙や飲酒に走った可能性は否定できません」 調査報告書では、宮田選手の当時の状況について、23年10月に恩師が亡くなったこと、自身を指導していたコーチも重篤な体調不良で倒れたことなどが相次いでおり、精神的に不安定な状況であったことなども記された。このような事実も併せて問題の背景にあったと見ることもできるだろう。
けがでがちがちのテーピング
実際、パリ五輪の女子団体メンバーは5人全員が10代で、19歳の宮田選手は最年長の一人である。ちなみに、宮田選手は2004年9月21日生まれなので、2カ月後には晴れて20歳となり、喫煙と飲酒は法的に問題なくなるところだった。 また、宮田選手は前述の過度なストレスに加えて、常にけがに悩まされ続けてきた。 彼女がパリ五輪代表への切符を手にした5月のNHK杯。しなやかに躍動する、鍛え抜かれた両足は、しかし、明らかに痛々しい様子だった。古傷の右かかと、内転筋を痛めた左太ももがテーピングでがっちりと固められていたのだ。だが、圧倒的な脚力と天性のバネを生かした演技で、宮田選手は見事に大会3連覇を成し遂げた。 深刻なけがと向き合いながら結果を出す必要に迫られ、心身ともに追い詰められていた可能性が否定できないのだ。
「負ける可能性がある」と判断
当時、宮田選手の問題が報じられると、大勢のコメンテーターが“真面目にやっている人に失礼”“自覚が足りない”などと彼女の非を相次いで指摘し、出場辞退は致し方ないと述べた。 だが、「辞退」という処置の妥当性については、体操協会はもちろんのこと、各種スポーツ団体が知っておいたほうがいいだろう。というのも、今回の場合、宮田選手がすんなり「辞退」をのんだのでつつがなく進んだのだが、仮に抵抗していたら協会は苦境に陥った可能性があるというのだ。 元テレビ朝日法務部長で弁護士の西脇亨輔氏に聞くと、 「今回、協会は正式な“処分”を下していません。宮田選手と話し合い、本人が納得して“辞退”した形を取らせています。おそらくこれは、協会が“処分”として五輪への出場権を剥奪してしまうと、後から訴訟や仲裁を起こされた場合、負ける可能性があると判断した結果だと思います」 なぜ、負けるというのか。 「20歳未満の飲酒喫煙は違法ですが、行った当人への罰則はなく、直接的な被害者も存在しません。法律的な視点に立てば、そのような罪に対して、五輪の出場権を剥奪する罰はあまりに重く、釣り合わないと考えられるのです」(同)