過労で意識を失い、リハーサルでは右膝を捻挫し病院へ…「昭和の歌姫」中森明菜の「紅白」
「『少女A』のタイトルがNHKの放送には適さないと判断された」
このころ、「紅白」では、出場メンバー発表の日に、全国7歳から60歳までの3600人の視聴者に「あなたの好きな歌手を3人ずつ挙げて下さい」とたずねたアンケートの結果を紅白15組ずつ一緒に発表していた。 それによると男性1位は五木ひろし、2位北島三郎、3位に森進一。対する女性1位は森昌子、2位に松田聖子がすでに名を連ね、3位に八代亜紀の順。その中の紅組13位に中森明菜の名があったのだ。 新人賞を競った松本、早見らの名はない。新人は白組15位のシブがき隊と明菜だけだった。各15位に入っていて出場していないのは、美空ひばり、中島みゆき、松山千春の辞退組だが、ではなぜ明菜は出場できなかったのか? 当時の新聞記事には、「このアンケートと並行してNHK各地方局の放送部長、営業所長167人(45歳平均)のアンケートも実施しており、総合的に届かなかった」、さらに「『少女A』のタイトルがNHKの放送には適さないと判断された」というものもあった。いずれにしてもデビュー1年目としては、上出来な結果だったのである。 そして翌年、来生コンビの『セカンド・ラブ』で“静”の世界に一度戻してそれが大ヒット。『1/2の神話』『トワイライト』『禁区』と“静・動・静”といった作品作りをくり返して67億円ものレコードを売り、「3600人アンケート」でも堂々4位まで浮上。 ◆トラブル続きの初出場…「明菜紅白辞退!」というデマも…… 文句なく初出場を決めたが、発表日にはクールに「まだ実感がわかない」とコメント。しかし本番の10日前、番組終了後に過労のために意識を失い、急性気管支炎と診断され休業。「紅白」リハーサルで何とか復活した。ところが夜のリハーサル中のダンスシーンで右膝を捻挫、またまた精密検査のため病院へ。一時は「明菜紅白辞退!」というデマまで流れた。 そして大みそか。前年は立てなかった「レコード大賞」の舞台で、2年目の歌手たちに贈られる新設の「ゴールデンアイドル賞」を受賞し、「紅白」会場のNHKホールへ。 若手歌手は前半戦で歌唱するのが通例だったが、明菜は後半戦トップバッターという好位置をつとめている。 翌年もレコード売上実績NO.1を誇り、「歌謡大賞」での候補曲は『十戒-1984』、「レコード大賞」では『北ウィング』が金賞ノミネート第1位で通過。それぞれの賞レースで曲目が異なるほどのヒット曲を量産し続けたというわけだ。「紅白」で歌ったのは『十戒-1984』だが、この年のアンケート結果ではとうとう森昌子に次いで第2位につけ、3位の松田聖子を上回った。 この時期あたりから松田聖子は郷ひろみと、中森明菜は近藤真彦と「熱愛中!」などとマスコミが書き立てていた。そしてこの年の「紅白」では中盤にこの4人を続けて登場させ、見せ場を作ったのである。