交通事故で息子が寝たきりに――介護を続ける親の苦悩と、「親なき後」への不安
今後の大きな不安
自宅でともに暮らし始めてから5年の月日が流れた。蒼磨さんは最近、支えがなくても1分間一人で座れるようになった。リハビリは毎日行い、「イエス」「ノー」といった最低限の意思表示ができるよう、会話補助機の訓練もしている。 ただし、蒼磨さんは気管を切開しているため、1日5~10回の喀痰吸引が必要だ。パッド交換は1日8回、朝昼晩の経管栄養と投薬、さらに体位も頻繁に変えなくてはいけない。ヘルパーの訪問介護やショートステイなどを利用しながら、佳奈子さんも細心の注意を払って介護をする。
自宅での常時介護で、これまで大きな事故は起きていない。佳奈子さんが病気で入院することもなかった。だが、先を見据えたとき、不安が重くのしかかるという。 「私は今年50歳になりました。いつ、ケガや病気をするかわかりません。その日が来たとき、言葉を話せず体を動かすことができない蒼磨は、だれに面倒を見てもらえるのでしょうか。次男、三男がいますが、任せるのはためらいます。職業柄、いろいろな療護施設を見てきましたが、蒼磨のような気管切開をした若者を入所させてくれるところはほとんどありません。先のことを思うと、眠れなくなるときがあります」
大阪で子どもを介護する両親
大阪府泉佐野市の坂本清市さん(56)も、「親なき後」への不安を抱える。10年前、次男・裕貴さん(28)がオートバイを運転中に、車に衝突された。脳挫傷、急性硬膜下血腫など頭部に大きなダメージを受け、手術後、遷延性意識障害を負った。
裕貴さんも急性期病院を出た後、岡山療護センターに転院することになった。だが、大阪の自宅から通える距離ではないため、母親の智恵美さん(55)はセンター近くにアパートを借りて3年間通い詰めた。 18歳の若さで、歩くことも、話すことも、食べることもできなくなった我が子があまりに不憫で、智恵美さんは「このまま二人で死のうか……」、そう思いつめたこともあったという。
父・清市さんも、裕貴さんが岡山療護センターを出た後は、大阪の自宅で一緒に暮らしたいと思っていた。事故の賠償金を使って自宅の正面に新たな土地を購入し、介護用の小規模な家を建築した。2014年から裕貴さんは訪問介護やデイサービスを利用しながらこの家で暮らしている。夜は智恵美さんが寝泊まりし、清市さんや長男の凌一さんも手伝う。