交通事故で息子が寝たきりに――介護を続ける親の苦悩と、「親なき後」への不安
蒼磨さんは搬送先の病院で「多発性脳挫傷、びまん性軸索損傷、気胸」と診断され、すぐに開頭手術となった。何とか一命は取り留めたものの、脳の損傷がひどく、「遷延性(せんえんせい)意識障害」(*注)を負った。 遷延性とはずっと続くという意味。患者は目を開けることはできても意思疎通はできず、自力で摂食や排せつをすることもできない。一般に「植物状態」とも呼ばれている。 近年、救命医療の進歩で交通事故の死者は大きく減少しているが、遷延性意識障害をはじめとする後遺障害者は減っていない。頭や脊髄などに大きな衝撃を受け、毎年新たに1600~1700人が認定されている。この20年間では約4万人だ。
120キロ離れた岡山へ転院
事故後、2カ所の急性期病院に5カ月ほど入院していた蒼磨さんは、容体が安定してきたため、リハビリや医療ケアをしてくれる介護療養型医療施設(療養病床)に移る必要が出てきた。 佳奈子さんは県内の複数の施設を調べ、最終的に自宅から120キロ離れた岡山療護センター(岡山市)に移すことにした。 独立行政法人の自動車事故対策機構(NASVA)が運営するこの施設は、交通事故で遷延性意識障害となった人の専門病院。仙台や千葉など委託を含めて全国に11カ所ある(合計の病床数310)。入院期間はどこもおおむね3年以内で、高度先進医療機器を用いた治療やリハビリで、被害者の社会復帰の可能性を追求している。
岡山療護センターは開放的なワンフロア病棟で看護師が常に全体を見守っているため、菊池さんは安心しつつも、自宅からの距離の負担は大きかったと振り返る。 「片道、車で2時間半ぐらいかかりました。さすがに体がもたなかったので、療護センターの近くにアパートを借り、私と元夫で交代しながら療護センターに通い詰めました。蒼磨に話しかけたり、好きな音楽を聞かせたり。一日付き添っていました」
兵庫の自宅には2人の息子がいる。自宅で料理や洗濯などの家事をして、週3回は岡山で過ごす。そんな二重生活を佳奈子さんは3年間続けた。 岡山療護センターには大阪や関東からも入院している人がいて、その親たちとの情報交換や励まし合いには救われたという。 蒼磨さんが岡山に入院している間、佳奈子さんはバリアフリーの家を新築した。自宅で蒼磨さんを介護することへの不安はあったが、退院後はどうしても一緒に暮らしたかった。建築費用は事故の賠償金と自身の自動車保険からねん出した。