「スカートが血まみれで絞れる状態」交通事故で小5の一人娘を亡くした母親 運転の男は危険ドラッグを吸っていた「病院で娘との別れが近いことを確信」【香川】
■そして最愛の娘が亡くなった 実久さんは意識が戻ることはなく、その後亡くなりました。 (秋山裕紀子さん) 「事故後、私は職場に『娘が事故に遭ったので、しばらくお休みさせてください』と連絡しました。それを聞いて、ママ友だったり、職場のスタッフたちが面会に来てくださいました。娘は話せないとはいえ、手を握ってくれたりとか、声をかけてくれたりしてくださって、温かい思い出になりました」 「娘の入院を知った同級生が、その日のうちに折ってくださった千羽鶴です。事故から次の日にこれ持ってきてくれて、本当に嬉しかったです」 ■事故の衝撃語る「肩ひもがちぎれたランドセル」 そして秋山さんは講演で、事故当時に実久さんが背負っていたランドセルの写真を紹介しました。 (秋山裕紀子さん) 「事故当時のランドセルです。車体の下に体が入り込んでしまったので、本体自体は傷ぐらいで済んだのですが、事故の衝撃でランドセルの肩ひもがちぎれてしまいました」【画像(5)(6)】 ■「自暴自棄になって、生きていることが嫌になった」 事故で最愛の娘を失った悲しみ。秋山さん自身、自暴自棄になったこともあったといいます。 (秋山裕紀子さん) 「これで私が『犯罪被害者遺族』となりました。娘が事故に遭うまでは、他人事でした。何の根拠もないのに、絶対に事故に遭わない、事件に遭うはずはないと思っていました。死別の体験をして、ましてや自分の娘を亡くし、人生観が変わりました」 「最初は自暴自棄になって、生きていることが嫌になることがありましたが、それもいけない、という葛藤がありました」 「娘との思い出を整理するために手紙やメモなど、娘がよく書いていたので出したところ、2分の1成人式のときに『将来、管理栄養士になりたい』と娘が書いた文字が出てきました。私は当時、訪問看護師をしていたので、2人で患者さんのお世話をできたらいいね、と話していました」 「私は当時を思い出すことで、また生きる気力をなくし、また落ち込むことがありました。『貴重な体験だったな』と思えるのに8年ぐらいかかって、今に至っています」