ドラマ「極悪女王」で再び脚光を浴びる昭和の女子プロレス 一世風靡したレスラー【マキ上田・大森ゆかりの今】を取材
今年2024年、ダンプ松本さんの半生がドラマ化され、再び脚光を浴びている昭和の女子プロレス。1970年代当時、一世を風靡していた女子プロレスラーたちは今、どうしているのでしょうか? 【写真23枚】『極悪女王』で注目!マキ上田・大森ゆかりの今 写真を見る
ビューティ・ペアでレコード80万枚の売り上げ
「めざまし8」は2人の昭和人気女子プロレスラーの今を取材しました。 1人目は、熱狂的な女子プロレスブームに火をつけたパイオニアであり、伝説的女子プロレスラーのマキ上田さん。 1976年にジャッキー佐藤と組んだ「ビューティ・ペア」が一躍大人気に! 当時、男の世界だったプロレス界で多くの若い女性ファンを取り込み、社会現象にまでなりました。 人気絶頂の中、19歳という若さでリングを去ったマキさん。 心残りはなかったのか?そしてその後、どんな人生を歩んだのか? 現在、彼女がいる場所を訪ねるとそこは、東京・浅草にある風情ただよう釜めし店。 店内の厨房で黙々と作業をしていた女性こそ現在65歳となったマキ上田さんその人です。 おかみさんとして、店を切り盛りする毎日を過ごすマキ上田さんに、話を聞きました。 ――デビューした頃は、どんな時代? マキ上田さん: 私たちの頃は男のプロレスは知ってましたけど、女のプロレスはまだ知られてる時代じゃなかった。(入門時)バレーボールをやってたんで割と受け身とかそういうのは吸収できて…。 マキさんがプロレス界に入ったのは15歳の頃。プロレス好きだった父親の勧めでした。 類い稀なセンスで数々のタイトルを獲得。瞬く間にスターの座へ駆け上がります。 歌手としても活動し、『かけめぐる青春』はレコード80万枚を売り上げるほど。熱狂的な人気を得ました。 マキ上田さん: (ファンが)東京から大阪までタクシーで追いかけてきた。すごい追っかけがいましたね。 一番困るのはお守り。体に気をつけてねって送ってくれるけど段ボール箱で何箱もくるから…。 そんな中、「ビューティ・ペア」結成から3年後、運命の試合が組まれます。 リングアナ「只今より、WWWA世界シングル選手権試合…」 それはプロレス団体が仕掛けた相棒・ジャッキー佐藤さんとの引退をかけた一騎討ち。 国民が見守った世紀の試合、結果は… リングアナ「勝者、ジャッキー佐藤」 マキさんは当時19歳で、スターの座を降り現役引退となってしまったのです。 その後は、女優や歌手活動などを経て、地元鳥取に帰り、スナックのオーナーになったマキさん。 そして48歳の時、釜めし店を経営する現在の夫と結婚に至ったそうです。 19歳での引退と、その後について本音を伺いました。 ――もうちょっとやりたかったって思いはある? マキ上田: それはないですね、さっぱり。自分のなかで決めたことは(守る)。 (有名になって)ある意味指名手配みたいになっていた、どこ行っても。 そうすると“自分の地”を出せるって部分で言ったら田舎に行った方がいいと思った。 注目を浴びる場所から潔く離れ、自分らしく生きてきたそんなマキさんだからこそ、今の若い人たちに思うことがあるといいます。 マキ上田さん: (精神的ストレスを)飲み込みすぎ。 なぜ自分のことを自分でアピールしてSNSに載せているのかな…? 自分のことを見てもらいたいわけでしょ? そんなこと考えてるより「土手走ってこーい!」みたいな。汗流したらスッキリしちゃうよみたいな。