『ヒットマン』恋に落ちた大学教授、恋にもがく偽の殺し屋
“事実を緩める”
間違いなくリチャード・リンクレイターにとって、地元テキサスのローカル誌「Texas Monthly」は大きなインスピレーション源になっている。いや、「Texas Monthly」のスキップ・ホランズワース記者が書いた記事、と言ったほうがより正確かもしれない。 テキサスの田舎町で発生した不思議な殺人事件の顛末を、「Midnight in the Garden of East Texas」という題名で発表したホランズワースの記事は、後に『バーニー/みんなが愛した殺人者』(11)として映画化された。そして『ヒットマン』は、2001年にホランズワースがゲイリー・ジョンソンを取り上げた記事が元になっている。「ヒューストンで最も注目されるプロの殺し屋」として、彼がどのようにして60人以上もの逮捕者を出したのか、その潜入捜査ぶりが詳しく書かれていた。 リンクレイターは記事を読んで、この奇想天外な人物をどうにか映像化できないか、思案し続けてきた。そして、ずっと二の足を踏み続けてきた。理由は明白。基本的な構造が、「ゲイリーが殺し屋を装ってクライアントに会う→殺人を依頼される→逮捕する」の繰り返しだからだ。もちろん個々のケースは非常に興味深いのだが、これではストーリーとして大きな起承転結を作り出しにくい。これといった打開策が思いつかないまま、数年が過ぎ去っていった。 だがもう一人、この記事に興味を示した人物がいた。グレン・パウエルだ。彼は「いいネタがある!」と鼻息荒くリンクレイター連絡したものの、「グレン、君がまだおむつをしているときに、僕はその記事を読んだんだよ」(*3)と冗談っぽく返答したという。少なくとも2人にとって、ゲイリー・ジョンソンの物語を作ることは、大きなテーマになっていた。そしてリンクレイターは、『ヒットマン』の企画を大きく前進させるヒントをグレン・パウエルから得る。 「彼が “事実を緩めたらどうだろう?”と言ったことは、評価したい。僕はいつも事実にこだわってきた。実際の出来事を、ありのままに伝えてきた。それを緩めることで、愉快なキャラクターを中心とした楽しい作品になったんだ」(*4) 嘘みたいな本当の話を直裁に描くのではなく、嘘みたいな本当の話を虚実織り交ぜて描く。もし殺人の依頼人が、ゲイリーと恋仲になったとしたら?実際にパワハラ夫の殺害を相談してきた女性はいたが、現実の彼はソーシャルサービスやセラピストを紹介しただけ。だが『ヒットマン』は、ゲイリーが人妻のマディソン(アドリア・アルホナ)といい感じになってしまったことで、スクリューボール・コメディとしての強度が圧倒的に増している。 リンクレイターがこれまでと異なるアプローチを試みたことで、「愉快なキャラクターを中心とした楽しい作品」が産み落とされたのだ。