妊娠22週で生まれた499グラムの小さな命、「最後は僕が決めていい?」夫のやさしさに支えられ、赤ちゃんに伝え続けた「ありがとう、大好きだよ」
順調に成長するものの、4歳6カ月で風邪からけいれん重積を起こし急性脳症に
――竜吾くんは退院後、自宅でどんな医療ケアをしていましたか? 美園 気管切開をしていたので、夜間は人工呼吸器を使用しました。日中は気管の乾燥を防ぐために吸入をして、痰(たん)を取るために吸引を1日20回ほど行ったりしていました。食事を口からとるのが難しく、胃ろうを使用して栄養剤や水分を1時間くらいかけて1日4~5回入れていました。 ――成長の様子はどうでしたか? 美園 自宅で過ごすうちに少しずつ成長して、名前を呼ぶと返事をしたり、背ばいで移動したり、ペースト食を口から食べられるようになってきていました。ところが、4歳6カ月のときに風邪からけいれん重積を起こし急性脳症となってしまったんです。もともと少し熱を出すと、けいれんを起こすことはありました。いつもは5分くらいでおさまっていたのですが、そのときは1時間以上けいれんが止まりませんでした。すぐに救急車で病院に行ったものの、薬で数日間眠っていました。 なかなか目を覚まさないので、MRIで脳の状態を見たところ、脳がダメージを受けていることがわかりました。 2カ月ほど入院したのですが、退院後の竜吾は、以前は名前を呼んだら顔を向けてくれたし、食事も飲み込めていたのに、これまでできていたことができなくなってしまったんです。ショックが大きかったです。それでも成長するにつれて少しずつよくなっていきました。
電車で療育や特別支援学校に通う日々
――竜吾くんは幼稚園などには通っていましたか? 美園 母子で通う療育にずっと行っていました。急性脳症になってから、竜吾の変化が大きくて私がショックを受けてしまった時期があります。そのころは休みがちになりましたが、どうにか療育には通い続けていました。 療育には電車で通っていました。長女の保育園や学校にも積極的に連れて行ったり、お出かけも普通にしたりしていました。長女が小学校に進学してから竜吾を連れて学校に行くと、お友だちが竜吾を囲んでいろいろ質問をしてくることもありました。医療器具の説明などをすると、みんな興味深そうにしていました。長女も竜吾を学校に連れてきてほしいと言っていました。 ――学校にはどのように通っていましたか? 美園 毎日電車で、片道40分ほどかけて特別支援学校に通っていました。医療的ケアが必要だったため、学校に行っている間は私が待機していました。毎日通うのは大変で、一時期は不登校気味でした。でも先生たちも「無理しないでいいよ」と言ってくれました。 竜吾もだんだん学校生活に慣れ、私は送迎に付き添うだけになりました。そのうち、医療的ケアが必要な子でも乗れ、看護師が同乗する特別なワゴン車で家まで迎えに来てもらえるようになりました。
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