梅田新歩道橋、人を結び60年…松下幸之助氏の意向で渋滞対策のために寄贈、現在287メートル
JR大阪駅前の阪急百貨店と阪神百貨店を結ぶ「梅田新歩道橋」が24日、利用開始から60年を迎える。駅前の交通渋滞の激化を懸念した松下電器産業(現パナソニックホールディングス)の創業者・松下幸之助氏の意向で、同社が寄贈した。現在、同駅周辺に張り巡らされた歩行者デッキの先駆けで、1日約240万人が行き交う西日本最大のターミナルを支える動線として、にぎわい作りにも一役買っている。(経済部 山村英隆) 利用が始まった1964年当時の梅田新歩道橋=大阪市提供
梅田新歩道橋は両百貨店のほか、大阪駅の改札前やバスターミナル、大丸梅田店をつないでいる。買い物客らが行き交い、テレビ局の街頭インタビューが行われることも多い。 現在の長さは約287メートル。阪急電鉄がネーミングライツを取得し、「阪急阪神連絡デッキ」と名付けられている。維持管理を担当する大阪市建設局の 家迫(いえさこ)一城さん(40)は「駅前一帯が眺められ、市民に愛される存在となっている」と話す。
利用が始まった1964年10月24日は東京五輪の閉会式と重なる。当時、自動車の急速な普及に伴って駅前交差点の交通渋滞がひどくなっており、事故も増えていたという。寄贈を決めた幸之助氏は当時の資料に「これが多少なりともお役に立つものであればまことに幸いだと思っている」とのコメントを残している。 総工費は8000万円で、当初は駅前広場と阪急、阪神両百貨店を結ぶ約100メートルだけだった。73年に拡張され、ほぼ現在の姿になった。手すりには今も「寄贈 松下電器産業株式会社」と記された銘板が残る。 幹線道路に囲まれた大阪駅周辺は自動車も多く、歩行者デッキや歩道橋が積極的に活用されてきた。
周辺では63年、駅西側の旧大阪中央郵便局(現JPタワー大阪)前に、大和ハウス工業と川崎製鉄(現JFEスチール)の寄贈で歩道橋が整備された(現在は撤去)。その後も再開発に伴って整備が進み、今年9月に一部が開業した駅北側の再開発地域「うめきた2期(グラングリーン大阪)」のほか、グランフロント大阪、ヨドバシカメラ梅田店、大丸梅田店といった大型商業施設が駅などと歩行者デッキで結ばれている。 周辺の土地が限られる都市部の主要駅では、空間を有効に使おうと、歩行者デッキを整備するケースが目立つ。本格的なものは73年のJR柏駅(千葉県柏市)が最初とされ、JR仙台駅(仙台市)周辺も大規模な歩行者デッキが整備されている。
大阪市都市計画局長を務めた大阪公立大の佐藤道彦特任教授は「元々、車と歩行者を分けるという安全面から生まれたものだが、商業施設にとっては買い物客を呼び込める利点がある。近年は快適に歩ける街づくりも重視されており、役割は増している」と指摘する。