「廃業を破棄します」東大阪の町工場の夫妻、取引先から応援されて再起
家族会議で先代からかけられた言葉
「振り出しに戻ってしまった」と枝未さん。1年以上、売上が伸びない苦境が続きます。いよいよ会社を閉めなければいけなくなりそうだという時に、先代も交えて家族会議を開きます。 2019年の経緯もあり、おそるおそる先代に切り出した枝未さん。返ってきた言葉は「ここまで、よう頑張ってくれたなあ」でした。 コロナ禍でがむしゃらに動いていた枝未さんは、たくさんの困りごとを解決してきた自社の技術が全然知られていないのはもったいないと思い、大阪ものづくり優良企業賞にエントリーしたところ、「匠な技術をもち、大阪の看板企業である」と、2021年に大阪府から認定されたのです。 地道に取り組んできたことが評価されたことに、先代はとても喜んでいたといい、枝未さんはこのとき「親孝行ができてよかった」とほっと胸をなでおろしたのでした。 そんな経緯もあり「ここまでよう引っ張ってきてくれた。それだけでもありがたい」とお礼を言う先代に対し、山東夫妻は「悔しい、辞めたくない」という気持ちと、でも資金的にはこれ以上続けられないというせめぎ合いのなかで廃業を決断したといいます。 取引先には迷惑をかけるわけにはいかないと、メインバンクに事前に相談し、支払いも当月のうちに済ませるように心がけました。
鳴り続ける会社の電話
2024年7月末、直近までお世話になっていた70社に廃業を知らせる挨拶状を送りました。ほどなくして電話が鳴り続けます。 「サントーさんところは残らなあかん」 「仕事ないか聞いてくるからちょっと待ってて」 普段、設計図面を通した仕事のやり取りしかしていなかった取引先の担当者からの温かい言葉に涙が出たという枝未さん。 話を聞いていると、「夏バテしていませんか?」「寒くなりましたが風邪をひかれませんよう」と枝未さんが手書きで書いていた暑中見舞いや年賀状がうれしかった、心が温まったと聞かされました。 「季節の挨拶は省略する会社も増えているなかで、気持ちが伝わっていたんだと思うとこちらもうれしくなりました」