朝ドラ『虎に翼』で寅子が法律を学び始めた昭和7年の日本では何が起きていた? テロ行為が横行する国内情勢と満州事変
朝ドラ『虎に翼』第2週「女三人寄ればかしましい?」は、主人公・猪爪寅子が明律大学女子部法科に入学するところからスタートした。昭和7年(1932)の春のことである。作中では女性の高等教育と社会進出に対して、想像以上の困難や世間からの好奇な視線に女子学生らが直面している。では、昭和7年とはどのような時代だったのだろう。 ■寅子が明大女子部に入学した頃の世界と日本の状況は? 俯瞰してみれば、この時期は第1次世界大戦(1914~1919)と第2次世界大戦の狭間の戦間期にあたる。ちなみに、寅子のモデルである三淵嘉子さんが誕生したのが、ちょうど第1次世界大戦が勃発した大正3年(1914)の11月のことだった。 第1週のお見合いのシーンで世界経済が話題になったが、この背景には1929年、ニューヨークの株式市場が暴落したことに端を発する世界恐慌があった。これにより、植民地を有するイギリスやフランスは「ブロック経済」へ移行する一方、「持たざる国」であるイタリアやドイツでは不景気による社会不安から強いリーダーシップを発揮する指導者が支持を集め、独裁体制を敷いてゆく。ナチス(国家社会主義ドイツ労働者党)のヒトラーやファシスト党のムッソリーニだ。 日本もまた、大正12年(1923)の関東大震災と世界恐慌に見舞われたことで、経済が落ち込み混沌の時代を迎えていた。 この時点で日本は明治43年(1910)の韓国併合によって朝鮮半島を朝鮮総督府の統治下に置いていたが、苦境を打破すべくさらに中国における権益確保を目論む。昭和6年(1931)9月、関東軍は柳条湖で南満州鉄道の線路を爆破。世に言う柳条湖事件が発生した。その後、関東軍は独断で満洲各地を占領し、1932年2月初めにはほぼ全域を制圧。3月1日に清朝の廃帝・愛新覚羅溥儀を国家元首に据えた「満州国」の建国を宣言する。 中国での動乱だけでなく、国内もかなり物騒な時代だ。昭和6年には陸軍によるクーデター未遂「三月事件」や「十月事件」が発生している。そして、1932年5月には五・一五事件が勃発し、犬養毅首相が射殺された。国民は長引く不況による生活の不安から政治への不信感が高まっており、軍部は政財界への怒りや軍部主導の国家体制への移行に対する使命感に燃えていた。これが、政党政治を終わらせる国家改造への動きに繋がっていく。 ここまで昭和初期の日本と世界の情勢を簡単にご紹介してきたが、『虎に翼』は現在ちょうどこの時代を描いていることになる。猪爪家が裕福な家庭であることから生活苦などの描写は見られないが、庶民の暮らしは逼迫していた。ドラマでも街全体があまり明るく描かれないのは、この辺りの時代背景が関係しているのかもしれない。 <参考> ●明治大学史資料センター「三淵嘉子(みぶちよしこ)―NHKの連続テレビ小説(朝ドラ)の主人公のモデルとなった女子部出身の裁判官―(法曹編)」 ●『歴史人』2023年9月号「太平洋戦争開戦の決断」内「世界恐慌とファシズム/満州事変と国内情勢(水島吉隆)」
歴史人編集部