「康太、康太!」亡き藤岡康太の思いがジャスティンミラノを皐月賞制覇に導いた…涙の友道師が明かした“最後の会話”「彼が育ててくれました」
数年前、栗東トレーニングセンターで取材を終えたあとのことだった。門から出ようとすると、道の向こう側から「こんにちは」と明るい声がした。自転車に乗った男前がこちらに笑顔を向けていた。 【写真】「誰からも愛された」藤岡康太20歳が初GI制覇で見せた爽やかな笑顔。「康太、康太!」友道師が叫んだジャスティンミラノ“涙の皐月賞”も見る(全18枚) 藤岡康太騎手だった。
爽やかで、誰からも愛される騎手の訃報
私は、兄の藤岡佑介とはフランスで食事をするなど何度も話したことはあるが、康太騎手には囲み取材をしたことがあるだけだった。彼は、私を含め、一緒にいた編集者のことも知らなかったはずだ。 それでも、こちらが挨拶を返すと、「お疲れさまでした」と気持ちよく送り出してくれた。 藤岡康太騎手はそういう人だ。爽やかで、誰からも愛される、素晴らしい騎手だった。 その藤岡康太騎手が今年4月6日のレース中に落馬し、10日に亡くなった。35歳という若さだった。 13日から、JRAの各競馬場に献花台が設置された。多くのファンがGIジョッキーの早すぎる死を悼み、手を合わせた。 そうしたなか、クラシック三冠の皮切りとなる第84回皐月賞(4月14日、中山芝2000m、3歳GI)が行われた。無傷の3連勝でこのレースを制したジャスティンミラノ(牡、父キズナ、栗東・友道康夫厩舎)は、1週前追い切りまで、藤岡康太騎手が調教をつけていた馬だった――。
「1分57秒1」驚愕のレコード決着
皐月賞で逃げて馬群を引っ張ったのはメイショウタバルだった。1000m通過57秒5というタイムがターフビジョンに表示されると、場内がどよめいた。超ハイペースだ。6馬身ほど離れた2番手はシリウスコルト、その2馬身ほど後ろに2歳王者のジャンタルマンタル、戸崎圭太が乗るジャスティンミラノは5番手の外につけている。 3コーナーを回りながら、後続がメイショウタバルとの差を一気に縮め、4コーナー出口で呑み込んだ。 直線入口でジャンタルマンタルが馬場の真ん中から先頭に躍り出た。ラスト200m手前で完全に抜け出し、そのまま押し切るかに見えたが、2馬身ほど後ろにいたジャスティンミラノが猛然と加速し、差を詰める。さらに外からコスモキュランダも伸びてきた。 ジャスティンミラノは1完歩ごとにジャンタルマンタルとの差を縮め、ラスト3完歩のところで抜き去り、コスモキュランダの追い込みも封じ、先頭でゴールを駆け抜けた。 壮絶な叩き合いでヒートアップしたファンの歓声はゴール後いったんおさまったのだが、勝ちタイムが表示されると、再びスタンドから声が上がった。 なんと、1分57秒1というコースレコードの決着だったのだ。ラブリーデイが5歳時の2015年の中山金杯で記録した1分57秒8を、3歳馬が一気にコンマ7秒も短縮したのだから恐れ入る。 首差の2着はコスモキュランダ、3着はジャンタルマンタル。1番人気に支持された牝馬のレガレイラは6着、藤岡佑介のミスタージーティーは10着だった。
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