町田樹さん「なぜフィギュア選手に?」〝問い〟と気づけなかった過去 研究者になり「問いの発見、難しい」
元フィギュアスケート選手で、スポーツ科学研究者の道に進んだ町田樹さん。淡々とルーティンを繰り返した幼い頃の自分は、「『なぜフィギュアスケートの選手になったんだろう』と思ってたのかもしれないが、それが〝問い〟と気付けなかった」と振り返ります。気鋭の哲学者・永井玲衣さんとの対談で、「問いを立てる難しさ」についても語り合います。 「論破」は寂しい景色 哲学者・永井玲衣さんと町田樹さんの〝対話〟
町田さんの疑問「哲学対話、いつから?」
【新しい言葉の担い手に贈られる「わたくし、つまりNobody賞」に2月、哲学者の永井玲衣さんが選ばれました。賞は、日本語による「哲学エッセイ」を確立した文筆家・池田晶子さんの意思と業績を記念し、新しい言葉の担い手に向けたもの。 3月に開かれた授賞式では、永井さんと、昨年の受賞者・元フィギュアスケート選手でスポーツ科学者(國學院大學准教授)の町田樹さんが対談。「表現」や「対話」について語り合いました。その内容を2回に分けてお伝えします。(後編)】 ◇ 町田さん:今はそんなことないですけれど、私は子どもの頃から人見知りで、大学生くらいまでは誰かと会話することがほとんどなく、自分の世界にこもって、フィギュアスケートや読書やゲームに没頭していました。 哲学対話というものがあるということを恥ずかしながらこの本を読む中で知りました。今私は34歳で、永井さんとはほぼ同世代ですが、私が子どもの頃は学校で哲学対話を行うという授業はありませんでした。哲学対話が教育に取り入れられたのは、ここ10年くらいの話なのでしょうか? 永井さん:そうですね。色んな流れがありますけれども、例えば大学だけでなく市民もまた哲学をしようという哲学カフェという営みがフランスで1990年代に始まった一方で、教育の現場で子どもが哲学をするというのはアメリカ発祥の教育法であり、実は異なる場から生じたんですが、日本では対話的に哲学をすることをざっくりと「哲学対話」と呼んでいるのだと思います。とはいえ、ここまで広がってきたのは日本でも最近のことです。 私は「哲学」の場もなかなか経験してきませんでしたが、「対話」の場もあまり経験してこなかったとも思います。 私が初めて参加した哲学カフェはものすごい緊張感で、哲学はあったんですが、対話はあまりなかった気がしていて。「自由とは何か」といった話をしていて、なんで初対面でいきなり「自由」について話せるの、とドキドキしてしまったんです。でも、哲学的であることは実は対話的であることではないか、と私は思っています。私は32歳なんですが、なかったですよね。