町田樹さん「なぜフィギュア選手に?」〝問い〟と気づけなかった過去 研究者になり「問いの発見、難しい」
「すべてに対して受け身で、無自覚無批判に受け入れていた」
町田さん:確かに、私が子どもの頃を思い返すと、私は「私」を持っていなかった。全くこだわりもなく、ただ淡々と毎日を過ごして、ルーティンを繰り返していた。学校に行ってフィギュアスケートをやって、という具合に。ですから、こういう対話があれば、それこそ他者との対話の中で、色んな言葉、いろんな問いを考える中で、私が形づくられていったのではないかと思うのです。自分の考えはこうだ、あなたの考えと私は違う、というアイデンティティー、つまり私と他者との間に線引きがなれたり、あるいは逆に共感したり、知らなかった私の一面を知ることができたり、「私」とは誰かを考える大事な機会となったはずです。 人は誰もが問いを持っているとおっしゃられましたが、私自身は子どもの頃、問いを持ってなかったです。どこかで自分が例えばなぜフィギュアスケートの選手になったのだろう、と潜在的には思ってたのかもしれないですが、それそのものが問いであることに気づけなかった。 永井さん:問いにまだなっていなかったとおっしゃるのは本当にその通りだと思って。よくこういう実践を続けている方って子どもの頃から好奇心いっぱいで……という方が多いんですけど、私は全然そうではなくて、問いになっていなかったんです。 もっとイライラというか、ジリジリしていて、たぶん嫌な子どもだったと思う。じれったかったんですよね。でも、それは悩みでもあるけれども、同時に「問い」でもあるのだと哲学に教えられました。「悩み」としてしまうと、個人の問題で終わってしまう。でも「問い」として拾いあげなおすならば、みんなのものになる。まわりとの違いに悩んでいた時は、ただもやもやと一人で抱えていたけれども、これは「普通とは何だろう」という問いですよね。町田さんは10代の頃、もやもやもなかったですか? 町田さん:それさえも意外になかったのかもしれないですね。 永井さん:それはどういう感じですか? 町田さん:すべてに対して受け身で、無自覚かつ無批判に受け入れていたという感じだと思います。研究者になって思うのは、問いを見つけることの難しさ。いい問いが見つかったら、論理が導いてくれたりするので、例えば仮に私ではなかったとしても、もしかしたらその問いの答えは、アカデミアの世界で自然と導かれる。でも、問いがそこら辺に散らばっているという、問いを見つける能力、それが問いだと気づく能力を育む、というのが哲学対話の一つの意義なのではないかと、私は思うのです。 永井さん:そうなんですよね。小学校に行くと、2、3分で黒板がいっぱいになっちゃうぐらい出るんですけど、私たちは問いを出すのがすごくゆっくりになっていると思います。