<独占インタビュー>引退した中日・小田氏の係長野球人生。なぜ補欠で17年間プレーできたのか
引退を決めた元中日の小田幸平氏(37)は、一度もレギュラーの座を取らないまま2番手捕手として巨人、中日で17年間プレーをした特異なプレーヤーだった。 兵庫の市川高―三菱重工神戸を経て1997年にドラフト4位で巨人に入団。2006年にから中日へ移籍。通算記録は、試合出場数が371試合で、打率.197、本塁打はわずか2本。 なぜ小田氏は、名バイプレーヤーとしてプロの世界で生き残ってこれたのか? THE PAGEでは引退直後の小田氏に独占インタビューをした。
17年間の現役生活を終えて
――昨年の10月1日に戦力外通告をされました。 「もう、ある程度、わかっていました。プロに入って2年、3年目のときなら慌てたかもしれませんがね。『引退試合』というお話ももらいましたが、現役一点張りで突っ張りました」 ――千葉ロッテが獲得という報道もありましたが。 「それはガセです(笑)。昌さん(山本昌)やべんさん(和田一浩)らが動いてくれたのですが、プレーできる球団は見つかりませんでした。独立リーグの話もあったんですが、そこも不都合があって断ったんです。でも後悔もしていません。そうなってしまったら仕方がないという気持ちですね」 ――17年間、一度もレギュラーを奪えず2番手、3番手としてプレーを続けました。 「2番手、3番手でやってきたつもりはないんです。17年間、ずっとレギュラーをとろうと思ったが、結果として、たまたま、それが2番手だった、3番手だっただけのこと。上を目指してきました。それはプロとして当たり前のことでしょう?」 ――なぜ2番手ながら17年間という異例の長さでプレーを続けることができたのですか? 「どうなんですかね。ずっとクビと言われなかっただけ。それは裏返せば、必要だったということでしょう。逆に聞きます。あなたが監督なら、なぜ僕を使ったのか?」 ――使い勝手がいいのでしょう。守れるしベンチのムードメーカーとしての仕事もある。 「必要とされたということですね。使い勝手がいいし、僕に何かがあるからチームに置いたんでしょう。その何かは、僕自身はよくわからないんですが、僕が打てば、ベンチがわんさかと盛り上げってチームの雰囲気を変えることができたり、ある程度、守りの面で力があれば置いておけばいいと、なっていたんでしょうね。とにかく自分の色を出すことを心がけました。リードでも小田はちょっと違うなというものを見せながら。そういうものができた結果が17年だったのかなとは思います」 ――なるほど。 「会社でも、『なんで、こいつが偉くなるの?係長なの?』という人がいるでしょう。『あの係長、そう仕事はできないんだけど、みんなにない企画を提案したり、周囲の雰囲気をよくして、性格が凄くいいんだ』って。そういう人って残りますよね?」