「ジャイアンツはこんなに“練習しない”球団なんだ…」40歳落合博満が巨人初キャンプで厳しい本音「中日よりもロッテよりも…練習量は半分以下」
40歳での鮮烈なFA宣言、巨人へ電撃移籍した落合博満……1993年12月のことだった。 あれから30年。巨人にとって落合博満がいた3年間とは何だったのか? 当時を徹底検証する書籍「巨人軍vs.落合博満」が発売され、即重版と売れ行き好調だ。その書籍のなかから、「40歳落合、巨人での初キャンプ」を紹介する。「ジャイアンツはこんなに練習しないのか…」落合が漏らした思わぬ本音とは? 【全2回の後編/前編も公開中】 【貴重写真】「グラサンでグレーのスーツ姿がヤバい…」40歳落合博満のスゴい存在感&なぜかサッカーする落合、94年巨人の超豪華メンバーなどすべて見る ◆◆◆ <FA移籍を巡って球界関係者から怒りや不快感の声があがった。そんななか40歳の落合博満は和歌山県太地町で、正月明けに例年より早い自主トレを始動させていた。>
原辰徳「オレが落合さんを立てれば…」
来るべき新シーズンに向けて、長嶋監督は背番号60に「100試合、打率2割7分、20本塁打、70打点」と現実的な数字をノルマにあげたが、落合は「それじゃあ、来年はクビになっちゃうよ」なんてうそぶき、フジテレビの『プロ野球ニュース』で「今年も三冠王を狙いますよね」と問われ、「そういう気持ちが失くなったら、ここ(記念館)の館長をやってますよ」とニヤリ。1月20日には、テレビ朝日の時代劇「桃太郎侍Ⅲ」に子連れ浪人役・山田市之進として、息子とともに特別出演。バットを刀に持ち替え、20人相手に大立ち回りを演じてみせた。 マイペースのオレ流・落合と背水の若大将・原は、1月23日によみうりランドで開催された球団行事「GO! GOジャイアンツ」で巨人移籍後初めて顔を合わせると、周囲の心配をよそになごやかに談笑した。「僕とシノさん(篠塚)が落合さんを立てれば、チームはうまくまとまっていくと思うよ」と原は大人の対応で、5歳上の落合を立てたのだ。
「巨人は何て練習しない球団なんだ…」
チームがキャンプ地の宮崎入りした1月31日には、中畑打撃コーチが同い年の落合の部屋を訪ね、「オチのほうから(他の選手に)近づいてやってくれ。何かあったら、オレが橋渡しをするよ」と気を遣った。その夜のミーティングでは、落合自ら新しい同僚たちに向かって挨拶をしている。 「40歳の私から学ぶものがあったら学んでほしい。私も、皆さんから学ぶものがあれば学んでいきたい」(週刊ベースボール1994年2月21日号) 2月1日のキャンプイン初日には、松井秀喜が右背筋痛で宮崎入りできなかったにもかかわらず、243人の報道陣が背番号60目当てに詰めかけた。 軽量化された特製のハイカット・スパイクを履いて登場した落合は、ベテラン組に振り分けられたが、いきなりノックやランニングで汗を流す。室内練習場では吉村禎章に打撃のアドバイスを送り、篠塚とは笑顔でバッティング談議を交わし、2日目には原と組んでペッパー打撃も披露した。長嶋監督も「前半は“オレ流”で結構なのにねえ」とハイペース調整を心配するほどだったが、落合なりにまずは巨人のやり方に合わせているように周囲の目には映った。しかし、内心はプロ16年目で迎えた巨人キャンプの甘さに驚いていたのだ。 「ジャイアンツというのは、何て練習しない球団なんだろうと思ったよね。中日が特に練習しているというわけではないけれど、それでも中日よりかなり練習しない。我々のロッテ時代から比べれば……あのころはオレも若くて体が自由になったし、少々きつい練習をしてもつぶれないというのがあったけれど、あのころの半分以下、3分の1ぐらいの練習量じゃないかな」(激闘と挑戦/落合博満・鈴木洋史/小学館)
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