ノートルダム寺院はなぜ燃えたのか、そして、なぜ世界に衝撃を与えたのか
石の骨組み
構造として「リブ」(あばら骨)という要素が基本である。柱もいくつかのリブを束ねたような形であり、それがアーチ状に曲がりながら枝分かれしてそのままヴォールト(蒲鉾型)天井の支えを構成する。つまり「石を積み上げる」という方法が天井までつながっているところが意匠的なクライマックスである。アーチ(弧状)の技術から発達したローマ以来の組積建築技術の到達点といってもいい。 そのリブが、ドイツとかイギリスとか、北に行くほど複雑化して、森の中に入ったように感じられる。ヨーロッパ北部はもともと木造建築の風土なので、僕が若い頃、ゴシック建築学の泰斗、飯田喜四郎先生に「石造ではあるが木造的な感覚ではないか」と話したら「若山君の説はドイツ系の学者が唱えるんだよ」と教わった。ちなみに飯田先生はフランス系なのでそう思わないということでもあろう。そんなところにも、フランスは地中海の都市の文化、ドイツはゲルマンの森の文化を背景にしていることが現れている。 ヴォールト天井には、石の重みで壁面を外側に押し広げようとする推力(スラスト)が働く。ロマネスクはこれを壁で抑えようとするが、ゴシックは前述のフライングバットレス(飛び梁)で抑えようとする。聖堂の外側にカニの足のようなものが何本も出ているのがそれだ。これを木造かと思った知人は、石と木の力学的性質を知っているということだが、それさえも石で造るところに組積技術としての意味があるのだ。
隠された木造
しかし隠れたところには木を使っている。 ゴシック聖堂のヴォールト天井の上には傾斜屋根が被せられている。屋根はスレートなどで葺くが、それを支える内部構造が木造なのだ。これはきわめて自然なことである。もともと雨が多く樹木が多い北ヨーロッパの風土に、雨の少ない地中海周辺の風土に育った石造様式が建てられる際、雨を染み込ませないための傾斜屋根が必要で、それを支える構造(小屋組と呼ぶ)には力学的にも木材が適している。外部の壁面や内部の天井など、見えるところはすべて石を使って崇高感を出すが、人に見えない小屋組は木造とするのが理にかなっているのだ。つまりこの屋根は、石造のヴォールト天井という重要な部分に、カバーのように取り付けられた付随的なものである。まさに地中海の都市の文化とゲルマンの森の文化が融合した、風土と歴史のなせる技なのだ。 それが燃えたのである。付随的とはいえ、大規模建築であるからかなりの木材量で、全部燃えれば大火災となる。ニュースを聞いたとき「そんなところに火元があったのか?」と思ったが、修復中と聞いて合点がいった。誇り高きゴシックの石工たちも、地震や風や雷なら責任をもてるが、信仰心の薄れた未来人の過失にまでは責任をもてなかった。 つまり今回燃え落ちたのは、石造建築の付随物としての木造屋根で、日本の仏教寺院のような建築の主要部分としての屋根ではない。大火災ではあるが、法隆寺や金閣寺の火災とは性質が異なる。たしかに衝撃の映像ではあった。しかし、今注目を浴びているフランスの歴史人口学者エマニュエル・トッドの「大げさに騒ぎすぎる」という発言がテレビのコメンテーターによって紹介されていたが、その気持ちも分かるような気がするのだ。現場も見ずにいうのではあるが、修復も比較的容易であろう。