「え、こんなボールだったっけ?」169球目は無情の押し出し四球…江川卓が散った51年前の“サヨナラ決着”相手エースが明かす「怪物攻略計画」
パリ五輪が盛り上がっていた8月7日、夏の甲子園が開幕した。第106回だが、今年は甲子園ができて100年という節目。智弁和歌山の辻旭陽主将による「僕たちには夢があります。この先の100年も、ここ甲子園が聖地であり続け、憧れの地であり続けることです」という素晴らしい選手宣誓で始まった。 【秘蔵写真】「プロ1年目で結婚した江川卓の奥様は…」超巨大なウエディングケーキに入刀する24歳の笑顔、他を圧倒する衝撃ピッチ、32歳の電撃引退まで「怪物」の歩みを振り返る
「100年」の結実と課題
初めて甲子園が使用された第10回大会があった1924年も、五輪の開催都市はパリだった。その夏に「甲子園」まで勝ち上がったのは19校。そのうち100年後の今大会も地方大会を勝ち抜いたのは早稲田実だけだった。1世紀もの間、全国レベルでの強さを維持することの難しさ。近年は生徒数の減少に比例して、野球部員も年々減ってきており、辻主将が「夢」と掲げた「この先の100年も聖地であり続ける」ためには、小学生など底辺の拡大、猛暑との付き合い方等、関係者のさまざまな努力が必要となりそうだ。 そういう意味では開幕から3日間で試験的に導入された「朝夕2分制」など、とにかく選手ファーストでの取り組みは今後も期待できそうだ。
江川が語った「甲子園」
ドーム球場での実施を説く意見は前々からあるが、何せ100年の歴史がある。「甲子園は甲子園で開催されてこその甲子園」という声が根強いのも、辻主将の宣誓もやはり「聖地」であり、単に全国大会出場だけが目標ではないということだ。開幕戦で始球式を務めた江川卓さん(以後敬称略)も、甲子園を独特の表現で語っている。 「毎年、春と夏にだけ現れる幻のような場所なんです」 のちに巨人のエースとして阪神と戦った「甲子園」と、作新学院のエースとして踏みしめた「甲子園」は別物という意味だ。春と夏にだけまるで異空間のように現れ、熱狂渦巻き、青春の思い出をつくり、大会が終わると消える。
怪物が見せた圧巻の投球
その「聖地」に51年ぶりに招かれ、美しいワインドアップから剛速球…。とはいかず、ワンバウンドで捕手のミットに届いた。これから開幕戦を戦う有田工の投手にも、滋賀学園の打者にも握手をし、頭を下げてマウンドを降りた。怪物も69歳。球児たちは息子より下、孫より上といった年ごろか。球場にも選手にも敬意が感じられる始球式だった。 その「幻のような場所」で、51年前の江川は春、夏ともに戦っている。春はベスト4。「夏こそは」の思いの強さは、栃木県大会の成績を見ればわかる。5試合中3試合がノーヒットノーラン。残り2試合も1本ずつしか安打を打たれていない。「怪物」は変化球はカーブしかなかったが、スピンのきいた圧倒的なストレートで打者をねじ伏せ、甲子園に帰ってきた。
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