街づくりも食べ物も「本物を」 公害経験の水俣から福島へメッセージ
「公害の原点」の場所であり、水銀規制の「Minamata Convention(水俣条約)」に記されるなど世界的に知られる熊本・水俣市。半世紀にわたり公害病と対峙してきただけではなく、先進的なまちづくりに取り組んできた。福島第一原発事故をきっかけに、その経験が注目される。水俣には「本物作り」という柱があった。
日本で珍しい農薬も肥料も使わないお茶栽培
農薬はもちろん、肥料も全く使わない――。 「究極の栽培方法」と話す「自然栽培」を約10年続ける、日本でも珍しいお茶農家が水俣にある。 「肥料は、お茶の木の落ち葉だけです」。松本和也さん(46)は、1990年から化学肥料や農薬など化学物質を一切使わない方法を始め、徐々に全ての畑へと切り替えた。さらに2005年、肥料自体を使わない自然栽培を開始。今では、3.7ヘクタールのうち半分は自然栽培を行うまでの収穫量になった。 高校卒業の2年後、家業を手伝った。松本さんは4代目。農薬散布で目や頭が痛くなり、従来のやり方に疑問をもった。無農薬栽培を長期間続ける静岡県の茶園を見学に行き、「これだと思った。霧が晴れた」という。 水俣病患者との出会いも、無農薬や自然栽培への思いを強めた。「公害を経験した水俣だからこそ安心安全」と銘打って販売していたこともある。「安心安全は当たり前。おいしさを追及したい」と話す。 自宅で、松本さんのお茶をいただいた。水出しでも、すっきりとして飲みやすい。香りと甘味が口の中に広がり、庭を流れるさらさらとした川の音が、心地よさを増した。
販路は海外に及ぶ。ロンドンの有名紅茶店「ポストカードティーズ」でも、「スーパーナチュラル ティー」として紅茶と緑茶を販売。ドイツなどでも販売している。 松本さんの茶畑「桜野園」を名づけたのは、昨年生誕150年を迎えた文人・徳富蘇峰。戦前に山あいが開墾された。水俣川支流の源流域の石飛高原でも、30年以上お茶の無農薬栽培を続ける「天の製茶園」がある。外国からの訪問者も多く、市街地にある「天の製茶園」直営店では、ドイツからきた大学生が笑顔で手伝っていた。 水俣は、海や漁業のイメージが強いが、山間部が75%と全国平均(約66%)を上回る。地名の由来は「川が2つに分かれたところ」。市の中心を水俣川が流れ、一つの市内で源流から下流まで完結する、生態系豊かな地域でもある。