京都で発見!革製「珍品」絵はがきのミステリー 120年前の大事件が描かれ、宛先は大物実業家か
今から約120年前、日露戦争の賠償への不満から民衆が起こした「日比谷焼き打ち事件」の様子を直筆で描いた当時の絵はがきを、京都市西京区に別邸を持つ米国人収集家の男性が入手した。 【写真】絵はがきの宛先とみられる、大物実業家 材質は紙ではなく革で、約6万点ある自身のコレクションの中でも見当たらないという。宛名は松竹キネマなどの役員を務めた大物実業家とおぼしき男性で、差出人の欄にはイニシャル「S.G」の文字。謎めく珍品にはどんなストーリーが詰まっているのだろうか。 日露戦争は1904(明治37)年に開戦した。翌年9月、米国の仲介により両国はポーツマス講和条約に調印したものの、日本側は求めていた賠償金を取れなかった。 これに対し、報道で連戦連勝と伝えられていた国民の不満は高まり、東京・日比谷公園では大規模な反対集会が開かれ、警官隊との衝突や市内各地の焼き打ちにまで発展した。 ■手描きの漆絵 絵はがきの消印は「東京」で、明治38年10月28日となっていた。 絵は手描きで、たいまつを持って路面電車に火を付けたり、両手を挙げて走り回ったりしている人々のシルエットが描かれている。その背後では大きな建物から煙が上がり、当時の騒乱ぶりが伝わる。 絵の上隅には赤字で「交番焼」と書かれた文字が確認できる。差出人が書いたと思われるメッセージには「電車焼打記念の眺めお送り…」などと、不謹慎とも思える説明が添えられている。 入手したのは、米国ニュージャージー州に住むドナルド・ラップナウさん(82)。明治期から敗戦前後に至る日本に興味を持ち、30年以上前から関連する絵はがきを収集している。毎年春と秋に来日し、和歌山県出身の妻ミチコさん(83)と嵐山で長期滞在する生活を続けている。 ラップナウさんは「日露戦争関連の絵はがきは他にも持っているが、日比谷焼き打ち事件のものであり、その中で市電が描かれ、かつ革製であること。この三つがそろっていることが重要だ」と価値を語る。 日本で私製絵はがきの使用が認められたのは1900年。その4年後に起きた日露戦争の記念絵はがきが一大ブームとなり、庶民にも浸透していった。 絵葉書資料館(神戸市)によると、多種多様なジャンルやデザインにとどまらず、材質や形状、仕掛け、透かし絵などに工夫を凝らした「珍品はがき」が明治から大正、昭和にかけて作られた。その中でも革製は珍しいタイプだという。 日比谷焼き打ち事件の絵はがきは、上部の切れ目部分から下がポケットになっていて紙や名刺などを挟める仕掛けも施されている。 ラップナウさんと取引した絵はがき商の矢原章さん(83)=右京区=は「消印がしっかり押してあり、状態も良い。絵は漆絵になっていて、絵描きさんが描いたものかもしれない」と評価する。 ■謎の差出人 一方、はがきの表面は宛先が「麻布区三河台町十四 岡倉様方 児嶌勇之介君」とあり、差出人のところは「From S.G」となっていた。